「空を飛ぶ事は私にとって重要ではない。
その瞬間戦い、今生きていることが重要なんだ。
何のために飛び続けるのか? 答えは明白だ。生き続けるためだ。
飛び立ち、戦い続けなければ、いつか大事なものを失うだろう。
そうならないために、私は戦い続ける。
撃墜王・スティーブ・マクブライド」
重い。
何度このまま捨ててやろうか考えたかわからない。だががそうしたところで事態が好転するわけでもなく、ダイヤの場所を彼が知っている以上手ぶらで帰るわけにもいかない。
ああ。
ヒステリックに叫び倒したい誘惑を押し込み、山を一歩一歩登っていく。一体自分がどれほど流されたのか見当もつかない。どうしたものかと考えていると突然隣でクーが身体を震わせた。
顎をわずかにあげると瞼をうっすら開くと、顔に着いた水を払う。口を開くとその胸が膨らんだ。自分で呼吸できるだけの力は残っているらしい。
「いって......」
大声を出されるところだった。アザミは彼の口の中に握った自分の左手をつっこむと、彼を戒めるように顔を近づけて小さな声で言った。
「でかい声ださないで。ここ敵地ど真ん中」
「......」
「それが理解したって意味なら頷くこと」
クーが必死で頷くのをみてから、アザミは口の端を吊り上げるように笑みを浮かべてみせる。暗闇でも見えるほど顔を近づけて笑ってみせるとその口から手を引っこ抜いた。その拍子にクーがアザミの肩からずりおち、地面に仰向けに倒れ込んだ。
「歩ける?」
懐から塵紙を取り出して左手についたクーの唾液を拭うと、倒れた彼の顔を覗き込むように尋ねる。
「調子は?」
「ちょっと腕が痛いかな」
そういうとクーは右腕を抑えてみせてきた。先程包帯を巻いたその腕に一瞬視線をやり、それからアザミは再び彼の顔をみた。疲労の色が濃い。
手を差し出すと、クーはそれを左手を乗せてきた。彼の身体を引っ張り上げながら
「再会に左手の握手はありえないけれど」
「左利き相手にそれをいうかい?」
「悪かったね。とりあえず無事でよかったわ」
微塵も感情を込めていない、至極素っ気ない態度でそう告げるとアザミは彼の反応を待たずに大股で歩き始めた。時折落ちてくる木の枝を払い、足下の木の葉を踏みにじりながら歩を進める。
少し進んでから振り返り、呆然とこちらを見つめながら先程の位置から歩こうとしないクーにむけて、アザミは乱暴な口調で苛立ったように言葉を投げつけた。
「どうしたの? 大尉。歩かないならあたしは鞄を奪って先にいくことになるよ」
「大丈夫」
その嫌みを多分に含んだ科白に対して、クーはやや疲れた様子で歩き始めた。
山を歩くのは体力を使った。この状況で唯一の救いは機体をおいた場所を示すレーダーが手元にあったことだろうか。それがまともに動作してくれることに感謝する。こんなものがいつ役に立つのだろうかと考えていたが、実際役に立つのだからわからない。
結局下流からは山を越えていかねばならず、手負いの二人にはきつい道程だった。
山の道は六割程上ったところをぐるりとまわるような道になっていて、そこを越えてから下山したところにアザミの機はあった。電波がまだ感じ取れるということは破壊されてはいないということだが、安心できるわけではない。相手の仲間が周辺に潜伏している可能性も否定できないからだ。
ひとり思考を張り巡らせていると、突然後ろからクーが声をかけてきた。
「アザミ」
そちらを振り向くと、酷く疲弊した様子の彼が大きく息をついていた。木に手をつきながら懇願するような目でこちらを見てくると、息を切らして伝えてきた。
「休みたい」
「それでも軍人?」
彼が倒れた巨木に腰掛けるのを確認するとアザミも座り込む。空を見るとやや白んできたくらいだろうか。そう考えると自分はかなり長い間気を失っていたのかもしれない。
隣でクーが背負っている鞄から水筒を取り出す。恐らく水だろうが、中身を口に含むとそれをこちらにも差し出してきた。アザミは顔をしかめると、
「水飲むとバテるよ」
「いつの考えだって。水分は人間に必要なんだ。いいから飲みな」
押し切られて仕方なくそれを受け取る。と同時に横からクーが声をかけてきた。
「全部飲むなよ」
「わかってるよ」
素っ気なく返すと一口だけ含んでそれを差し戻した。胸ポケットから煙草を取り出してくわえると、ライターを取り出して火をつける。そして彼に対して馬鹿にするような目線を向けながらぽつりと呟く。
「しかし男のくせになさけないねえ」
「悪かったね。体力無尽蔵のヒロインとは違うからさ」
そっぽを向く彼の横顔を見、アザミはその言葉を笑った。体力無尽蔵のヒロイン。良い言葉だと思った。
ふと彼がなにも吸っていないことに気づき、煙草を一本を彼に向かって差し出した。が、彼は手を振って断ってくる。以前とは違う反応に驚きながら煙を吐き出してみせた。
「いつから禁煙始めたの?」
クーは鞄に水筒をしまい、その中を覗き込みながら答えてきた。
「二十歳になってからかな。軍隊はいるのに身体を鍛える必要があって、それで煙草はやめたんだ」
「普通逆じゃん?」
「誰かさんのおかげでね」
そう自虐的に笑うと、鞄の中から小さな青い箱と紙の束を取り出してアザミに向かって差し出してきた。だがアザミはそれを一瞥すると、軽く手を振って鞄の中に戻すように示した。
「こんなところで無くしたら言い訳できないわ。鞄にいれとき」
「ここじゃ見えないかな」
「それもあるけど、後からちゃんと確認するから、今はしまっておいて」
携帯灰皿を取り出して吸っていた煙草をその中に押し付けると、ぱちんと蓋をしめる。それから軽く関節を鳴らすとアザミは腰を上げた。
「ねえ、何に撃ち落とされたの?」
「なににって?」
鞄を地面に置き、それに手を添えながらクーが聞き返してくる。彼の顔を見下ろしながらアザミは片手を腰に当てながら続けた。
「機があんな状態になるまで誰にやられたの?」
「あー......対空砲の連発にやられた。この辺りかなり設置されてたから」
「撃ち落とされた?」
アザミが口を挟んだ。彼は頷くと、
「ああ。たまたま右エンジンだけだったから......両方だったかな。とにかくバランスを崩して地面に落ちるだけで済んだんだ。木の上に落ちたから怪我もなかったよ」
「ふーん」
そんなものか。ここに入りこんで置きながら誰に撃たれたかを教えろというのも無理があるのだけれど。
アザミは素っ気なく頷くと小さく息をつき、シガレットケースから煙草を直接口で銜えて引っぱりだして火をつけた。彼が抱えている鞄を見やるとそれを顎で示す。
「その中にはなにが入ってるの?」
「......水と携帯食料と、あと運ぶヤツと銃が一丁と予備マグ四本......」
「銃があるのね? さっき使ってたのとは別?」
「念のためさ」
そういうと彼は手元から拳銃のグリップを少しだけ取り出して見せた。
「さっき落としたのは?」
「あれはいつも使っているヤツ。これは自分用」
「使い分ける意味がわからない」
それがプライベートの意味で言ったのかどうかも分からないが、ここでは追求しないでおく。
アザミはおもむろにたちあがると数メートル先の崖目掛けて歩き始めた。こちらの動きに慌てたのか、急いでクーが立ち上がって後ろをついてくる。
だがアザミは彼に向かって頭を振ってみせると、落ち着かせるような口調で
「休んでなさいよ。まだそんな遠くにはいかないから」
「もう出発かとおもった」
彼が再び腰をおろすのを見送ってから、アザミは足場が続くギリギリまで歩くとその下に視線を落とし、彼に聞こえる程度の声で呟いた。
「ちょっと見るだけ」
眼下に広がる緑の中、数百メートル先に自分の機体があることが手元のレーダーが示している。そしてそれは暗闇と緑の帳に包まれていて目視確認には至らない。だが、先程の位置から移動はしていない事は確かのようだ。
自分たちがあそこまで歩けばよいのなら、この山地からでれるのもすぐだろう。Dが乗っていたところにクーを乗せて、クロスフォードの街まで飛べば良いのだ。そこで助けを求めればいい。
おもわず口の端を吊り上げて笑みを浮かべる。自虐的に映ったかどうかは別として、アザミは笑うしか無かった。ここで泣き崩れる訳にも、ヒステリーを起こす訳にもいかない。どちらもとても魅力的だけれど、自分がやるのはそんなことではない。
自分の敵は誰でもなく、自分自身だった。アザミは笑みを消すと振り返った。
「いくよ。準備して」
「やっぱりそうじゃん」
呆れたように呟くと、彼は渋々といった感じで立ち上がった。