今日の午前中から突然やってきた雲は化学物質と共にオールド・クロスフォードの空を一斉に包み込んだ。降り出した雨は一向に止む様子もなく、先程からずっと降り続いている。
雨に打たれている海面は小さく波打ち、濡れた無人の砂浜は寂しげな雰囲気につつまれていた。
そんな郊外の海辺の道路を走る、一台の車があった。
車の窓を叩く雨と雨音に耳を傾けながら、フレミングは運転手に場所を告げた。
「そこを右だ。そう。そこを曲がってくれ」
そう伝えるとフレミングは手元から手帳を取り出してページをめくった。真ん中程から適当なページを開いて、さらに数枚をめくると二人の兵隊の顔写真ととある極秘ミッションの基地の場所が書かれた紙がでてきた。
オールド・クロスフォード空軍非公開基地。
住宅街からも中心街からもはなれた郊外の海沿いにある。一見倉庫街にも見えるこの基地は地図には記載されおらず政府も存在を認めていないが、歴史は長い。
尉官以上の人間しか正確な位置を知らないうえ出入りを許されていないため、古くから軍の極秘作戦や兵器の保管に使われてきた。七層に別れた地下の研究所とあわせ、地上にある一見古びた倉庫に見える数十棟の建物。それらの中に最新式の戦闘機や兵器がごっそりと自分たちの出番を待ちながら眠っている。
手元の地図を一通り見た後紙を裏返すと、そこには基地司令官の名前と電話番号が書かれていた。フレミングがさらにページをめくると紙がこすれる音が車内に響いた。
空は変わらず薄暗い。昼間とは思えない程だ。
フレミングは携帯を取り出し、着信履歴から相手を探して電話をかけた。
どんよりとした空から降る雨がデッキの屋根を叩いている。
アザミはそこにおいてあるパイプ椅子に座りながら、自分の機体が運び込まれた工場を見つめている。そこから見えるのは隣の工場と船着き場だ。何台かの船が置いてある。どれも民間の物と殆ど外見は同じで、周りの建物の外観とうまくなじんでいた。それらが兵器や武器を運ぶ政府の秘密工作船だとは誰も気づかないだろう。
シガレットケースを取り出し、煙草をくわえて火をつける。煙を吐き出しながら視線を薄暗い空の帳に移していく。それらは相変わらず今の状況を表しているようだった。
空気の重さは心の重さに直結する。アザミは半眼でそれをみつめ、煙を大きく吐き出した。
「なにやってるの?」
アザミの後ろにあった扉が開き、その建物から白衣を着た人間がでてきた。顔つきは若者だが頭髪に殆ど色素がないため年齢不詳に見える。
ここの責任者、ストルウェルだった。
彼の方に視線をやると軽く肩をすくめ、アザミはくわえた煙草を揺らしてみせた。
「クーは?」
「無事だよ。腕以外は手術をしなくて済んだのが幸いだね。着ていたチョッキがそのまま止血に役立ったよ」
微妙な説明だった。が、なんにしろ彼は一命を取り留めたらしい。アザミはそのままあさっての方向を向くと煙を吐いた。
ストルウェルはデッキにあがってくると胸ポケットから煙草を取り出した。それを口に銜え、こちらを見ながら怪訝そうに尋ねてくる。
「もうちょっと嬉しそうにしたらどうなんだ? 親友なんだろ?」
アザミは軽く息をつくと頭を振った。
「どうやって顔作ればいいのかわからないんだけど」
「作るもんじゃない」
「知ってる。わからないだけ」
相手の指摘にそういって答えると、アザミは隣に置いてあった空き缶を引き寄せ、吸い殻を捨てた。そして相手の吸っている煙草を取り上げると、眉をしかめてみせた。
「喫煙は貴方の健康を損ねる可能性があります。って習わなかったの? 医者のくせに」
取り上げたそれを灰皿に押し付けて火を消す。相手は苦笑すると、デッキの外に目をやりながら答えてくる。
「ここでやってくには必要なんだよ。それに俺は大佐だ。口を慎め」
「それならコカインでもやってなさいよ。ヤミ医者大佐」
そう言い捨ててデッキを降りて、建物に続く廊下にでる。廊下の屋根を規則的に打つ雨音がアザミの耳朶を打っていく。それはどこか哀しげな音を連続して響かせていた。
顔をあげてその裏側をみつめ、そしてそのまま目を閉じた。後ろのデッキで彼が二本目に手を付けているのが匂いで分かった。
「俺は医者でもあり軍人でもある。兼業は疲れるしストレスが溜まるんだ」
「そ」
アザミはポケットに手を突っ込むと、そちらを振り向かずに声をかける。
「あいつ、意識はあるの?」
「さっき戻ったところさ。いってみてきてあげなよ。喜ぶんじゃないか」
陽気な声がかえってくる。が、それは少し空元気のようにも聞こえたが、嘘を言っているように思えなかった。それがアザミの心を安心させる。
「あんたが買収されてなくてよかったわ」
本当に自分が言いたい科白はこれなのだろうか。そんな自分に対して呆れながら、アザミはクーの病室に向かう廊下を歩き始めた。
「やあ。いらっしゃい」
その顔をみて、彼のことを心配した自分を呪った。彼はベッドで上半身をおこし、背中を壁に預けていた。身体は包帯でぐるぐる巻きにされていたが顔つきは先程とあまり変わらず、憔悴しているようには見えなかった。
「クー。怪我は?」
「この通り。銃弾は貫通してたけど、なんとかってくらい。しばらく肉弾戦は無理だけど飛行機くらいなら乗れるよ」
「そう。それならよかった」
にこりともせずにアザミは脇においてあるティーポットをつかんで紅茶を入れた。マグカップを二つ引き寄せると一つはクーにわたした。
「てっきりもっと重傷かと思ってたわ」
「僕もさ。でも急所は外しててね。傷が開かない程度には動くのも許してもらえてるから。大丈夫」
彼が浮かべた表情は笑顔だ。それに対してアザミはぎこちなく頷いてみせる。
だが、彼の明るさはどこか作ったものにも見えた。ストルウェルもそうだったが、この基地でみる人の表情は作りものに見える時が多い。
「ここは監視されてるのかしら?」
アザミはそう言って部屋の天井を見回した後、空になったマグカップをおいた。周囲を警戒しているのがわかったのかクーが怪訝そうな顔をして答えてくる。
「さあ......」
「そう」
それにたいして小さく頷くと、アザミは隣にたたんでおいてあったジャケットと服をクーに投げつけた。そして彼の服を掴んでベッドから引きずりおろすと、上半身の患者服を脱がせた。
「って」
「出かけるよ。着替えな」
「......なんでいま?」
「いいから」
そう言ってシャツを着せ、ズボンを穿かせるとアザミは腕を掴んで彼を立ち上がらせた。
手が傷口に触れたらしく、激痛に顔を強ばらせながらクーが叫んだ。
「痛い!」
「黙れ」
ごめんなさいの一言もなく別のところを掴むと、アザミはそのままクーを連れ出そうとドアに向かって歩き始める。
と。
なんの前触れもなく二人の眼前でドアがいきなり開いた。表向きにわずかに開いてきたそれに顔を叩かれそうになりながら二人は足を停めた。クーはよろめきながら、アザミは軽く舌打ちして、扉の前に立ち尽くす。
「取り込み中失礼するね」
その科白とと共に一人の人間が顔を出してきた。
フレミング空軍参謀次長だった。
「デートに行く前に、話をする時間だけくれないかな? 三十分でいいよ」
覗き込むように顔を出してくるフレミングを見返していると、不意にアザミは自分の手がクーの指を握っているのに気づいた。それを突き放すように離すと急いで両手を後ろ手にまわす。
何か言わなきゃ。頭を回転させる。
「なんでここに」
と、それを言ってからなんて間抜けな科白だろうと後悔した。自分を呪いたくなる。
「君らから直接話を聞きたくてね」
だがフレミングはたいして気にした様子もなくドアを開けると部屋の中にはいってきた。三十路をだいぶ過ぎているフレミングは身長がアザミより低い。おまけに目が大きく童顔のため全体的に年齢不詳にも見える。明らかに黒スーツにトレンチコートが不似合いな軍人だった。
彼は後ろ手に扉を閉めると、つかつかと部屋の中に入ってきた。そして中においてあった椅子の一つを引き寄せるとそれに座り込んだ。そしてアザミとクーを見上げると、となりに置いてあった二つの椅子にむかって手を振った。
「座りたまえ。話を聞くよ」
人を食ったような笑みを浮かべる彼を無視して出かける勇気は、二人には無かった。