与えられた狭い自室でベッドに横になりながらぼんやりと書類をめくっていると、不意にノックの音が部屋に響いた。
アザミは扉を見やると廊下に聞こえる程度の声で叫んだ。。
「誰?」
わずかに扉が開く。そこから少しだけ顔を見せてきたのはクーだった。
「クーだけど」
「はいりなよ」
足音をたてずに中に入って来るとクーはアザミが横になっていたベッドの隣に立った。そして覗き込むようにこちらの顔をみると、少しからかうような口調で、
「落ち込みタイムなら遠慮するけど」
「馬鹿にするためにきたならぶっとばすよ」
彼の科白に対して突っぱねる様にそういうとアザミは書類を閉じた。上半身を起こして机上のラップトップに映し出されている最新機種のデータを指でなぞりながら、黒い画面に視線を落とす。
部屋の隅からスツールを引っ張り出してクーに半ば投げつけるように渡すと、アザミはデスクチェアに腰掛けた。
「ブルーパラメトリックス、かっこいい」
「僕が送ったヤツ、きいた?」
「うん。イヤホン調子悪くて片方からしか聞けなかったけど」
そう言ってイヤホンを外してラップトップのディスプレイにかけた。かちゃり、と音がして白いコードが机から垂れる。
大きく深呼吸すると、アザミはクーの方を見た。
「何しにきたの?」
「いや、話をしに。特に用事はないんだけど」
「平和ね。あんた」
「それは悪いことかな?」
「ただ、時間が空いたからあたしのところにくるっていうのが、お気楽だと思っただけ」
「それは悪いことかい?」
「別に。たまにムカつくけど」
「やっぱりそうなんだ。でもその言い方シーナににてきたね」
「ぶっとばすよ」
「ごめんごめん」
そういうとクーは一端言葉を切るとこちらの顔をじっと見つめ、やれやれと呟いた。
「しかし変わらないね。君は」
「なにそれ? 皮肉?」
「いや、褒めてるんだよ」
その言葉を鼻で笑うとアザミは手近にあった本を取り上げた。
ページをぱらぱらとめくると表紙を閉じて、天井に視線を映す。
そのまま口に出して傍にいる彼に伝える。
「あんた変」
「それはお互い様」
二人でいてもなにか話すわけでもない。
中途半端に付き合いが長ければ話す言葉は自然となくなる。空気みたいな存在、とはこういったことなのだろうか。
しばらくしてからクーが唐突に口を開いてきた。
「ショック?」
「何が?」
「大佐が裏切った事」
半眼で壁に視線をやりながら頭を掻くと、アザミは椅子に背中を預けた。
「別に」
「本当は?」
しばしの沈黙。
「すっごいショック」
「僕以外の人には言う?」
「まあ言わないわねー。面倒だし。ああ、ばーちゃんにはいうかもね」
「他には?」
「同期にはいうかも」
「ああ......もどりたいと思う? あの頃に?」
「あたしは別に」
一瞬哀しげな陰がクーの表情をよぎった。見なかったことにする。
「楽しかったよね。あの頃」
クーのその懐かしむ声を聞きながら、アザミは息を吐いた。
「あたしはさ」
そういって切り出す。空中に指を走らせながら続ける。空の戦いを描くように。
「昔とかどうでもいい。どうせ戻っても今と同じことやってるだろうし。それなら幸せになりたいかな」
「幸せになりたいんだ」
意外そうに彼が言ってくる。そこで振り向かずに視線だけで彼を見るとアザミは笑みを浮かべてみせた。指でベッドのシーツにふれ、曲線を描くようになぞりはじめる。
「幸せになりたいと口に出すのは、乙女臭くて好きじゃないね」
それにたいして彼は何も言わない。アザミは指をとめると小さく息を吐く。
二人の間に再び沈黙がおりた。だが彼といる間はなにか不思議と空気が暖かくなるような感覚で、普段他人といるときの風船が張りつめているような感覚が全くない。
口では言わないが、今はそれがありがたかった。
しばらくそれが続いたあと、クーは身を乗り出してこちらのラップトップのキーボードに手を触れ画面を切り替えた。
音楽再生用のソフトが表示され、プレイリストが並ぶ。
アザミのすぐ目の前でクーは表示されたプレイリストからとある曲を選び出していく。
彼との距離はほんのわずかしかない。手を伸ばせば届く距離とはこういうことを言うのだろう。
その様子を眺めながらアザミは軽く息をついた。
「みんなそういうところがあるとは思ってない気がする」
「そういうところってなにさ?」
意識しているのかいないのか、こちらを見ずに彼は尋ねてきた。
「さあ......多分あたしだけが知ってる」
アザミはそういうと両腕を伸ばしてクーの胸ぐらを掴んで引き寄せた。しがみつくものではなく、喧嘩を始める時のものに近い相手を無理矢理引き寄せる動きだ。
その動作にクーは僅かに戸惑いの表情を浮かべてくる。だが軽く息をつくと小さく笑う。
片手でラップトップのイヤホンを引き抜き再生ボタンをおした。
ピアノの音と共に軽快なギターリフが部屋の中に流れ出す。数センチの距離で彼の瞳を見つめながら、アザミは呟いた。
「これを聴くと、泣きそうになる」
「らしくないね」
顔を近づける。目を閉じるべきか迷った。
残り数ミリのところでクーが口を開いた。
「軍規に触れるよ」
「それとは別」
どう別なのか、と彼は尋ねたかっただろう。
訊かれたところで答えられる筈も無かった。
さりげない彼の慰めに、ひび割れた心が暖かい泉に放り込まれ、優しく撫でられていくような感覚に陥る。
何もできないままこみ上げてくる湿っぽい何かに対抗しながら、アザミは続けた。
「先に死なないように」
「わかってるよ」
ぼんやりと天井を見つめながら、腕をあげて目を擦った。
涙の跡でわずかに白くにごった視界をはっきりとさせる。
自分の中のなにかをごまかすように息を吸うと、アザミは体を起こして尋ねた。
「あとどのくらい?」
間抜けな問いかけだ。声に出してから後悔する。彼がまだ覚醒していなければ良いと思うが、予想に反して彼はしばらく間をおいてから真面目な声で答えてきた。
「三十分ぐらい」
こちらの背中を彼の手が撫でてきた。
「今何時だっけ」
「ここにきたのが会議の三十分後だから......十九時かな。まだそんくらいなんだ」
唯一外さなかった腕時計に目をやると、クーは頷いてきた。頭の後ろで彼の腕時計が時を刻む音が耳朶を打つ。
頭の中で軽く計算すると、アザミは再び息をついた。
「どうするの」
「さあ。言う通りにするだけだよ」
彼がそう答えた後、二人の間に沈黙が流れた。気まずいそれではなく、慣れ親しんだ二人が今更なにを言うべきか悩むような、そんな空気だった。
「ねえ」
おずおずと口を開く。が、その後がでてきそうになかった。
こちらの身体から手を離すと、クーは上半身を起こすとこちらを見てくる。
気づいていたがアザミは彼の目をみなかった。
「なんでもない」
結局アザミはその一言だけを彼に伝えた。
そのまま部屋を出て行った彼の表情は見えなかった。
++++
日が山の中に降りていく。
オレンジ色の光が青色に溶けていき、やがて消える。
そして青が黒に変わる時、彼らは動く。
ジェイが滑走路に続く扉を開くと、その場にいた兵士達の視線がこちらに集中した。
部屋に入っただけで部屋の空気が一変する。ジェイがもたらす空気で辺りが緊張感で満たされていくのをDは感じ取った。
存在だけでその場の空気を変えてしまう人間。自分のことを知って知らずか、辺りを見渡すとジェイは笑みを浮かべ、息を吸うと部屋全体に響き渡るような声で叫んだ。
「時間だ!」
大きく腕を振りながらのその煽動に兵士達が立ち上がる。その基地に配置された戦闘機と同じ人数だ。建物の中に進む度にブーツの底が床を叩く固い音が室内に響く。そのまま歩きながら彼は言葉を続けた。
「狙いはオールドクロスフォード空軍基地とエアプロ第五基地だ。全部派手にぶっ壊せ」
その言葉に兵士たちは歓声で返すと、それぞれ自分の戦闘機に乗り込んでいく。その数、五十。
彼らが乗り込んだ後各々のエンジン音が建物内に響き、格納庫から続く滑走路へでた機体から次々と離陸していく。
それらを傍目で見送った後ジェイはDを振り返り、声を潜めて言ってきた。
「フレミングをやれ」
「順等なところだね。多分警備のひととか入ると思うけど」
まあこんなところだろうな。
「殺せ。邪魔するヤツは残らずな」
「御意」