飛行機一台作るために必要なものを考えてみる。翼だね。コクピットだね。車輪もいるよね。エンジンはジェットにするかプロペラにするか、プロペラだったらプッシャなのか前につけるのか、いろいろ過程を考えるが、世の中にはこの過程を楽しんでいる人もいる。祭りより祭りの準備をしているほうが楽しい、というヤツだ。
なにかをやりとげるよりなにかをつくっているときのほうが楽しいというのはよくあるのだけれど、なにかが終わったときの空虚感はどうしようもなく例え難い。もちろん作っているとき、最中に当事者たちはそんなことを考えている暇もないほど切羽詰まっているのだけれど、後から思い返したら「そういえばあんときって結構オレよくやってたよなー」なんて思ったりするのである。
ただ、そういうのを評価するのはあまりなくて、絶対評価となるのは見栄えが良い部分だけだったりする。仕事であれなんであれ、できあがったものをみて「駄目! やりなおし!」とされることもあり、あげく完成したものを見てもらってもそれほど対して評価されることはなく、周りの評価が全てでないと思っていてもやっぱり作っている最中こそ全て!みたいな感覚に陥ってしまうのである。(いっておくがこの場合世間一般的な結果オーライは存在しないと仮定する)こちらも苦労はしているのだ。もちろんそれが苦労と本人が感じているかどうかはわからない。それでも誰でもある一定の努力と労力と苦労はしているはずである。(してないヤツもいるが)
だがそういった苦労、努力、労力というのはできばえが悪ければ何一つとして評価はされないまま終わってしまうことがほとんどだ。外部から得られる評価と自分の努力&苦労は当然ながら比例しない。不幸なことに反比例することもある。映画等が良い例だろう。制作費をいくらかけていい俳優をそろえたところで良い映画がとれるとは限らないのだ。
僕自身はどうかというと自分の作ったものにはそれなりの価値はほしいし、やっぱり読む時間を裂いてもらえるからにはいいお話、リアルに感じてもらえるものを読んでほしいと思っているからそれなりにお金をかけて資料をあつめたりする(ブックオフだけど)。そんな苦労してもそれをふくめてこの作業は楽しいし、ストーリィが組み上がっていくのはなんだかんだいっていい。それはキャラクターたちが突拍子もないことを言ってくれるのも嬉しいし、結局の話過程も結果も楽しんでいたりする。でも外から得られる評価は良い物ばかりでは当然ない。これだけ長い文章を読みもしないでポエムという人間も実在する。ちなみにこれは周囲の評価をまったく無視のマイペースといっているわけではなく単純に僕の中での自己完結について語っているだけなので誤解はしないでほしい。(わけがわからないだろう)(いいけどべつに)
まあだからといって小説や絵がプラモデルと一緒だ!と言い切るつもりは全然ない。(もちろんプラモデルを軽視しているつもりでもない)ただ、前を見ながら自分のメッセージ性を盛り込んでいけるだけの自由とキャラクターたちの人間性にふれていけるだけで、この手段はあらゆる意味で僕の目的になっているのだと感じている。それはある意味生きる目的を与えてくれるといっても過言ではないんだなあ。結局の話。
(お前の人間関係が希薄だという突っ込みは却下)
それでは、"AZAMI -- Drop in the Sky"を読了して頂ありがとうございました。
BGM "All Around The World " By OASIS