Prologue




 右エンジンが悲鳴をあげる。
 アビーはそちらに視線をやったあと、機体をロールさせて旋回した。後ろにつけていた敵の戦闘機が戸惑ったように両翼を揺らし、前方に飛び去っていく。
 もう一機。
 別方向から近づいたもう一機がこちらをロックしたのがわかった。ミサイルが追尾してくる。
 壊れたエンジンではまともなスピードがでない。
 だが持っているものを壊してしまうのはもっとヤバい。

 手元の操縦桿をまわすと山岳部に機体をねじ込ませ、崖と崖の間すれすれで機体をさらにロール。
 やりすごしたミサイルが突き出た岩石にぶつかって爆発を起こし、破片があたりに飛び散る。
 つづけてアビーを待っていたのは対空砲の嵐だった。泡がはじけるような間抜けな音とともに無数のオレンジ色の光が眼前に迫る。
 助けを呼ぶか。駄目だ。ここでは見つかってしまう。だが呼ばなければもっと最悪な事態が待っている。
 アビーは手前にある赤いレバーをあげ、SOS信号を送るボタンを押した。
 これは近場にいる空軍施設に傍受できるように信号を送る。確かこのミッションは極秘だとか聞いていた気がするが今はそんなことを気にしている場合ではない。
 これは最終手段だ、とアビーは言われたことを思い出した。基地を飛び出し、通信を切った直後、自分が飛び立った滑走路がつながる基地が爆撃された。
 通信をうけとるのがどうか理解ある人間でありますように、と願う。それを押しながら息をつく。
 フラップアップ。まずは高度を稼がなければならない。そして通信可能な空域にはいった時にそれを発信した。
 誰かが受け取ってくれる。
 ここから最も近い基地を探す。
「レパードだ。任務は失敗だ。敵の戦闘機二機に追われて機体は右エンジンを損傷している......誰かに飛行ルートが漏洩していた可能性がある」
 頼む。届いてくれ。
「機体のエンジンが限界だ。このまま現在の地点に不時着する。場所は......」
 手元のレーダーにあがった場所を読み上げる。
「以上だ。運送物はブラックボックスに移行させる。派遣した部隊にはマスターキーを持たせてくれ。通信を切る......」
 そこでアビーは無線を切った。これ以上何も言うことはない。
 後ろに迫った敵機二機が発射した機関砲が装甲を吹き飛ばしていく。
 右の翼が吹き飛ぶ。機体が大きく傾いた。
(......ここまでか)
 エンジンが壊れる。左も飛んだようだ。
 黒煙がアフターバーナーから吹き出す。空中で回転しながら地上に向けてアビーの機体は落下していく。
 死を覚悟する時は、こんなものだろうか。 
 最後に頭に思い浮かんだのは、最後に手を握った女性の顔だった。
 こちらを寂しげに見上げる彼女を、アビーは思い出していた。
 死にたくない。

 畜生。


 ++++
 

 アザミの機体が失速反転。エバンテの機体目掛けて飛ぶ。
 彼女の飛び方は直線的だ。まるで歴戦の男性パイロットがやるような飛び方だ。
 シーナは手元のスロットルレバーを押し上げた。
 彼女がいれば心強い。だが、不安は拭えない。だが、今の自分は不安より先にエバンテに対する憎しみが先に来ていた。
 まるで黒く自分を染めていくような、深いダークな感情はそのままパフォーマンスに影響する。こちらは二機でエバンテを追っているにも関わらず、未だに彼を倒しきれてないのだ。それはシーナの状態だけではなくアザミも例外ではないだろう。
 彼女の不意をついた攻撃を相手はふわりとした軽やかな飛び方で回避。レッドウェアウォルフはストローク機よりやや重めの機体の筈だがエバンテの動きは以前と変わらない。機体が変わっても、どんな状況になろうとも結果を残すのがエースの資格なのだろう。
『畜生!』
 罵るアザミの声が聞こえてくる。
 曲線を描くようエバンテは飛んでいく。
 自動車で言えばほろ酔い運転に近いのかもしれないがそれはすべて計算された飛行で、彼の頭で考えだされた合理的な場所を選んでいる。
 シーナがエンジンを吹かしてアザミを追い抜く。エバンテを捉えたと思いきや彼は突然ロール。そのまま高度を下げていく。
 こちらの機体はステルスモードだ。相手のレーダーには映らないから当然エバンテはこちらを目で確認する必要がある。だが相手はそれすら苦にしていないようだった。ハイスピードの中で感覚で戦うなど歴戦のレーサーでもなければ難しいはず。
 彼が次の瞬間コチラの後ろについたとき、シーナは急いで操縦桿を切った。雲隠れのつもりだったのかはわからない。だが気付けば相手はそこに迫っていた。機銃で打たれる不自然な間を置くと、アザミとシーナが空けた間をロールして進んでいく。
 シーナの腹の中を別な怒りが沸き立った。
 エバンテはいつも、相手を尊敬するということをしないパイロットの様に思える。空で死ねて本望の相手をそのまま殺すことをせず逃がすことが多いのだ。
 もっとも、全員が全員そうとも限らないのだけど。
 急いで編隊に戻らなければならないのは同じだろう。アザミも自分を止めにきたのだ。だが、戻るつもりはシーナにはさらさらなかった。相手を倒さなければ、殺さなければ。アビーに、カテリーナに、そしてあの時撃墜された仲間達にーー示しがつかないのだ。
 エバンテが右から迫る。アザミがスポイラを展開、速度を落としていく。シーナとエバンテの機体にアザミが横から挟まれる形になる。そこでアザミが失速したのでシーナもそれにならい、二機は彼の後ろに着くと機銃を放った。
 だが、次の瞬間。
(そんな)
 彼女の攻撃は斜めに迫り、エバンテの機体の位置では不可避のはずだった。が、エバンテはそのままピッチアップして機首を迎角に変えてきた。
 こちらの機をやり過ごすと失速しながら元の体勢に戻る。
 コブラだ。難易度がかなり高い回避用のマニューバ。
(しまった!)
 常識破りのその動きに戸惑いを隠せないでいると次の瞬間にはロールしたエバンテがこちらの後ろに迫っていた。
 アザミではなく、自分を狙っている。レーダーがロックオンされたことを伝えてくる。
 その間はシーナにとって命取りになる。だが逆にそれはシーナにとって好機でもある。
「隙だらけだ」
 呟くように伝える。恐らく相手にも聞こえただろう。
 だが、エバンテはこちらの言葉に返事を返さずそのままピッチアップの状態のまま垂直上昇。
 ストールターン。ブレーキをかけながら静止状態での空中移動。後ろに追い抜いた二人を一気にさらに前方に押し出すように体勢を変えた。
 標的が、消えた。
「......え」
 間抜けな声だ、とシーナは思った。エバンテの真髄がこれなのだ。相手にとって自分は絶対倒せない存在であること。最強であること。
 恐竜の王者、エバンティクス。
 ディーノ、ラプターは爪を持った蠅と同じ、かそれ以下とでもいうのだろうか。怒りや憎しみがその瞬間黒い穴に吸い込まれたように無くなったのを感じる。恐らく、一瞬だけ。
 それは戦意の喪失。
 "自分では勝てない"と諦めた瞬間だったのだろうが、シーナはそれを認めたくなかった。惚けたような声がそれの証かもしれない。アザミが無線で呼びかけてくるのが聞こえたが、シーナはすでに操縦桿を握る手の力が緩んでいることを感じた。
 後ろに迫るエバンテ機。キャノピィ越しに近づくエンジンの音。
 その瞬間シーナは自分の頭の中がスローモーションになる。
 エバンテの機体から放たれた機銃の弾丸がシーナの機体を貫いた。
 右のエンジンが爆発。続けてキャノピィを貫いた。
 こちらの右肩を左足、を貫いた弾丸はそのまま機体に穴を穿つ。
 さらに飛んできた弾丸が右胸と腹を直撃した。
 シーナは声が出せないまま、機体が大きく揺れるのを感じた。
 不思議と痛みも感じない。ただあるのは、大きな喪失感。 
 のど元から競り上がってきた血がヘルメットに張り付く。もう一度操縦桿を握り直してシーナは息を吐いた。
 自分のすぐ右でオレンジ色の炎が光った。アザミが自分を呼ぶ声が途切れ、やがて消える。

 それはあっという間だった。

 本当に、ただの。
 一瞬の一幕。

 
 
 
 
 
 
 なんども思い浮かべる、あの瞬間。
 
 
 ベッドから身体をたちあげ松葉杖を使って身体を持ち上げる。
 あとすこしだ。
 だがふらついてそのまま地面に膝を着いてしまう。左肩から落ちたため激痛が上半身を襲った。
「......痛」
 思わず口に出して呟いてしまう。
 だがそれは誰かの耳に入る事は無い。
 
 シーナは個室に移されていた。
 もっとも重傷であること、もっとも優秀であること。
 なにより、もっとも早い回復を周囲から期待されていたからだった。
 それはここにいるだれよりも。
 それが嬉しいことなのかよくわからない。だが本当に早い回復を望んでいるのは他ならない自分であることにシーナは気づいていた。
 何かを渇望しているのだ。
 ここで怪我が治るのを待っているのでは満たされないのだ。
 胸の中で何かが疼く。
 
 それを掴もうと手を伸ばすが、まるで指の間をすり抜けていくように捕まえられない。そして満たされていないことを理由にシーナになにかを望んでいる。
 
 ああ。やめて。
 
 それは。

 
 
 


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