Episode 7:Bye Bye Boy




 瞼を開いた。
 動くようになった左腕を顔の前にかざしてみせる。
 そこにはすでに絆創膏が縦に貼られているだけだ。

 すこし伸びた髪に触れてみる。それは以前のように自分の前にもってこれるほどではないけれど、以前と同じ、白い輝きを放っていた。
 鏡、欲しいな。
 そんなことを呟いてみる。
 どちらにしてもひとりぼっちだとどうしようもないのだけれど。

 窓から外を眺めてみる。
 そこにあるのは青い空。わずかに雲がかかっているか。
 飛ぶとするならあの中か。
 そんなことを考えてみる。
 どちらにしても戻ることなんて考えていないのだけど。

 この左手は再び操縦桿を握れるだろうか。
 飛ばなくても良い。戦いの中にいたい。
 死を間近に感じることで生きることを感じていたい。

 ただ、それだけなのに。


  
 
 
 

 LEONARDO -- Dark Horse
 007




 ターン。そしてロール。
 後ろに着いた敵をやり過ごすとそのままスポイラを展開。高度を下げ、一気に減速。
 ローリングシザーズ。
 前方にでた相手目掛けて機銃を放つ。ミサイルでこの近距離だと巻き添えを食らう可能性がある。敵の右エンジンが炎をあげて大きく機体が揺らぐ。
 左へロール。一気に離脱。雲海に僅かに機体がうまるくらいまで高度をさげると、続けて後ろにもう一機に着いてきた。
 レオナルドは元々は戦闘が得意なわけではない。が、スコットから話を聞くうちに少しずつコツを掴む事ができていた。状況判断くらいはこの場合でもできなくはない。もっとも焦りすぎれば見失う可能性も高い訳だが。
 スコット曰く「一撃離脱戦闘法」。敵に悟られないように近づいて最小の兵器で攻撃・撃墜しそのまま離脱することらしい。よく理解はしていないがとりあえず安全であるということだけでレオナルドはその方法を取っていた。ドッグファイトはそもそも得意にはならない。シーナやホールのような戦闘タイプではないのだ。
 そして何より僚機を失うことはパイロットとして不名誉だ、ということだった。ここで自分はサリーを守る義務がある。また逆も然り。
 レーダーを見る。映る敵機二機は遥か後方。サリーは下方。エバンテと交戦中だろうか。
 ピッチ・ダウン。
 雲海に突入。そのまま高度を下げるとそこは既に海の上だった。海岸線ははるか右方。目視だが十キロ以上はあるだろう。落とされたら泳ぐのは難しいだろうな、と思った。
 右にヨーイング。その先でサリーはエバンテの機体に後ろを取られていた。
 彼女の機体がバレルロール。だがエバンテはその後ろをそのまま何事もないように着いていく。撃墜するチャンスを狙っているのだ。
 レオナルドは自分の中の憤りを抑えながらスロットルを握りしめた。そのまま押し上げてアップ。エンジンを吹かしてスピードをあげた。彼らに近づいてエバンテの後ろを取る。
『ランフォ! 何処にいるの?!』
 サリー。うわずった声音からかなり焦っている。彼女の機体の遥か後方にレオナルドは続いた。
「今助ける!」
 キャノピィを雨の雫が叩く。それで視界を失うことはないが雨の日のフライトは大抵の場合不吉であると話には聞いていた。戦闘に入ってしまえばそんなことも言ってられないのだけれど。
 高鳴るエンジンが水を切り、レオナルドの機体を二機の後方に運ぶ。そのまま空対空ミサイルをエバンテに定めると発射スイッチを押した。
 機体の腹から押し出された兵器がエバンテの尾翼目掛けて追尾する。ホーミングされたミサイルをこの状況で、この環境で回避するのはたとえ彼でも難しい。
 だが彼はわずかに機体を揺らめかせると、次の瞬間一気にフレアを放ってきた。
 機体の後部から放たれる大量の火炎弾。エバンテはロールしながらこちらを誘導するが、サリーの機体の後ろを離れない。
 エバンテの機体がスポイラを展開。レオナルドの機体との距離が縮まる。だがこちらと彼の間にはフレアが大量に飛んでいる。雨に打たれた火炎は次々と消えていくがミサイルとレオナルドの目を誤摩化すには十分だった。
 こちらの眼前にフレアをまき散らすとエバンテは機首をあげ、一気に上を向かせてきた。
(インメルマン?)
 それともシャンデルだろうか。ここで?
 戦闘を放棄するつもりなのだろうか。
 
 エバンテは違った。
 そのままミサイルとレオナルドの機体をやり過ごすと機体をそのまま平行状態に戻そうとする。
 コブラ。
 違う。
 見せかけだった。次の瞬間エバンテは機体を後ろに一回転。再び水平状態に戻してきた。
 クルピットだ。
(しまっ......!)
 レオナルドが心の中で叫ぶ。サリーの機体は前方を行く。後ろを取られたのは今度は自分だ。
 まさかこんな形でまかれるとは予想もしない。レオナルドが後ろを振り向く間もなくこちらの背後にその黒い機体は迫っていた。
 放たれた機銃がレオナルドの機体の右の翼を吹き飛ばす。バランスを崩す。だが追撃がくる前にエバンテの機体は射撃を止めてきた。
 反射的にそちらを見る。
 横から、エバンテの機体を別な射撃が襲っていた。彼の機体にいくつか風穴を開けるとそれはレオナルドとエバンテの間に割り入ってくる。

 サリー。
 こちらの攻撃で助かったにもかかわらず、ターンして戻ってきたのだ。
 そのまま逃げれば基地に単独で戻ることもできただろう。
 それをせず、彼女は。

 機体が交差したその瞬間レオナルドは彼女と目があった。もちろんわずかな間。僅かに笑みを浮かべていたような気がする。飛ぶ前の、いつも彼女がこちらに向けてくる笑顔のときの目。
 攻撃を受けたエバンテがバランスを崩す。その前を、こちらをかばうようにサリーは飛んだ。
 だが、その飛び方は彼女にとって命取りになる。
 エバンテの機首が向いた方向と、彼女が飛行方向は同じだ。

 レオナルドは思わず目を見開いた。
 どうしようもない。その先を行く彼女の機体を、エバンテの放った機銃が襲った。
 エンジンを直撃した銃弾が翼を破壊、燃料に引火したエンジンが両方とも爆発を起こす。
『脱出する。頑張って』
 短く。爆音に包まれたわずかな無線。それだけがレオナルドの耳朶を打つ。いつも通りの軽い声音でいわれたその言葉は、これまでの彼女の言葉の何よりも、心にのしかかった。
 机を丸めた雑誌で叩いたような音と共に、彼女の身体が空中に放り出される。レオナルドが操縦桿を握ってロールをかける。キャノピィ越しにその様子が鮮明に見えた。
 炎上するストローク08。空中に放り出されたサリー。上から迫るエバンテ。
 そして交差する銃弾。
 それ全体がスローモーションのようだった。
 脱出と同時に彼女の身体が飛び出したのは、エバンテの機銃の先。
 レオナルドはどうしてそれが見えたのかはわからない。瞬間だったそのわずかな時間でそれを把握できたのかもわからない。できるのはただ、
「ホール! 撃つな! やめろ! よせ!」
 叫ぶだけ。
 だがそれが相手に届くはずもない。
 黒煙をあげながら爆発、空中で炎上しながら落ちていく機体の黒煙にまぎれて、体中に銃弾を受けたサリーの身体が赤い飛沫となって空中で霧散する。鋼の塊の機体を破壊する機銃を人体が受ければひとたまりもない。レオナルドが見たのは空中でただ一方的に、無抵抗のまま無数の銃弾を体中に受け、一瞬のうちに粉々に砕け散るサリーの肉体だけだった。
 誰に聞こえるわけでもない。レオナルドは叫んでいた。
 その瞬間彼女の名前を叫んでいたのに気付けていない。いや、気付く事ができていない。そしてそれは雨の中に消えた彼女に届く訳も無い。既にその身体は血飛沫とともに海へと落ちている。次の瞬間レオナルドの中に浮かんだのは眼前に飛ぶかつての仲間への復讐と怨嗟の気持ちだけだった。
 スロットルをフル。そのまま操縦桿を握って彼に接近。手負いなのはお互い様だ。
「殺してやる!」
 歯ぎしり。どうしようもない、どうすることもできない感情が腹の底から浮かんできて自分を責め立てた。黒くて、そしてとても暗い負の感情。そこでレオナルドが確信できるのは眼前の彼を殺さない限り、それは収まりようが無いということだった。
 だがエバンテはあっさりとロールしてこちらの機体を受け流すと、機銃でこちらのもう片方の翼を破壊してきた。その動作は手負いとはいえ無駄がない。
『出直してこい』
 割り込まれた無線。その冷たい、人を殺したあととは思えない声音にレオナルドの感情はさらに逆撫でされた。
「ざけんな!」
『今のお前では殺す気にもなれん』
 そういうと彼はエレベータ・アップ。高度をあげた。
 一方的に通信を切られるとそのままエバンテは上空の雲の中に消えていった。本当にそれはあっという間。一瞬だ。
「畜......生っ!」
 そのまま壊す勢いで操縦桿を握りしめる。
 上を見る。どうして良いかわからない。
 ロールをかけて方向を変えようとする。だが両翼が破壊されているせいでうまく制御できなかった。幸いなのはエンジンが生きていることだろうが、それも相当数のダメージを負っているようだった。
 ぐんぐんと高度が下がっていく。
 残りの敵機はこちらを見つけただろうか。エバンテーーホールは味方に何と報告するのだろう。彼の考えがレオナルドは理解できなかった。なにを思ってああいった形で飛んでいるのか。
 サリー。
「ああ、くそ。畜生」
 悔しさと悲しさが同時にこみ上げてきて、涙が滲んだ。彼女のことは好きだったわけではないが、基地で家族のように暮らして話してきた身近な存在だっただけに、突然いなくなってしまうのはとても心が痛んだ。海の上だけに彼女の墓標も作ってやれないのだ。あとへフライトが命がけだと知っていても、覚悟していたとしても実際に失うと悲しみをこらえることができなかった。
 言い聞かせるのも限界があるのだ。正直な話。
 そして今度は、自分の番が待っていた。
 レオナルドは操縦桿を握った。と、同時にスロットルを下げる。
 エンジンが稼働を弱めていく。幸い機首は海岸線に向かっていって、そのまま飛んでいくと眼前の砂浜に不時着しそうだった。残り距離二キロといったところか。海面からは百メートルもないところまで高度が下がっている。脱出することもできるが機体を死なせたくない。
 もちろん不時着したとしてもエアプロの捕虜になって手酷い拷問を受ければ話にもならないのだが。そのとき隣にホールがいたら銃殺覚悟で彼の顔を殴ってやろうと心に決める。
 どうしようもないだろう。
 さがる高度。無くなる燃料。落ち込むエンジン。
 涙がこぼれた。もちろん覚悟もある。悲しみもある。だがあそこでホールは。
 なぜ自分を殺さなかったのだ。
 戦わない理由は、どこにあったのだ。

 手負いだったから?
 違う。サリーはそれだったら見逃せたはずだ。
 単純に殺す価値もないと判断されたからだ。

 悔しさが背中をかけあがってきて、レオナルドは肩を震わせた。仲間の死と守れなかった悔しさ、自分の覚悟や近いを無下にされた悔しさ。
 シーナが味わったのはこれだったのだろう、と制御をかけながら思わず考える。彼女はこれを最後の任務で怪我とともにぶつけられ、心を折られたのだ。
 浜辺まで百メートル弱。高度は二十メートルを切った。
 これならば余裕で着くだろう。
 スロットルダウン。エンジンを切った。
 機体の腹を水がこする。と、同時にスピードのまま水面を走っていき、やがて砂浜に乗り上げていく。わざと車輪をおろさなかったのは砂浜と水で駄目にしてしまうことを防ぐ為だ。搭載武器がこれで駄目にならないことを祈るがそれも今更。

 機体は浜辺にのりあげ、ゆっくりと三十メートルほど走って止まった。さすがにコンクリートに不時着するのに比べれば全然楽な着地だったと思う。以前やったことがあるがそのときはかなり大怪我を追ってしまったのだから。
 マスクを外し、ヘルメットを放り投げるようにして脱ぐ。ベルトを外して足下の荷物を掴んだ。
 どこにいくのか、ということも分からなかったがどうしようもない。とりあえずでなければならない。
 降りた瞬間レオナルドは地面に倒れた。
 どうしようもない。ただ疲れただけだろう。
 だが、酷い。
「畜生......」
 小さく口の中で呟く。荷物が目の前に転がる。フライトジャケットは右腕に握ったままだ。視界がぼやけ、やがて暗転する。

 次に目覚めるとき拷問されてなければいいな、とレオナルドは最後に思った。
 もちろん、希望的観測であるけれど。
 



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