スピードをあげる。逃げる。逃げ続ける。
スロットルを押し上げてエンジンに燃料を流し込む。
上空を覆う雲に向かってピッチアップ。そのまま機種から突っ込む。
ごまかすことができるかもしれない。
ずっと後ろをついてくる敵の飛び方は知っている誰かに似ていた。
それを一瞬振り返る。息が詰まる。
駄目だ。負ける。
ループ。そしてロール。
曲線を描きながら、そして羽先が雲海につかるような場所をすれすれに、機体を九十度ロールさせて一気に飛んだ。
「畜生!」
眼下で雲が切れていく。
操縦桿を切る。
スポイラを展開。ピッチダウン。
エレベータアップ。
斜め上ーーー実際には斜め下に高度をさげる。そのままスライスバック。
雲の中で速度をあげる。
駄目だ。
まだ、死にたくない。まだ。
LEONARDO -- Dark Horse
010
次の日。
レオナルドは早速松葉杖を使って歩き始める訓練を始めた。
これ以上寝ていると気が遠くなりそうだったからだ。
松葉杖で歩くのは骨折中のレオナルドにとって文字通り骨が折れるような作業だったが、なれてしまえばそれほどでもない。生まれつき両足が効かない人々に比べれば自分の今の状態など恵まれているほうだろう。
階段を一段一段降りていくと、階下にエミリーが立っていた。
「おはよう。レオナルド君」
思わずびくりとする。予想しなかった、というのもおかしいがレオナルドは彼女がそこに立っていることをほとんど考えていなかった。
「なんでここにって? ドクにね、いわれてたの。あなた今日あたり動いて、降りてくるんじゃないかなって。松葉杖、辛くない?」
一段おりる。確かに両足どちらも治りかけとあって痛みがまだ伝わってくる。
小さくうなずいてみせると、彼女は大きな目をこちらに向けて上目遣いにこちらをみてきた。
「じゃあこれに乗って。せっかく降りてこられたんだから、敷地のなか案内するわ。わけわかんない土地の中それで歩くの、不便でしょ?」
最後の段を降りる。横にはエミリーが引っ張ってきた車椅子があった。
「これ、電動?」
「ううん。人力」
「......そういうのって、人力っていうの?」
「間違った? 人動のほうがあってるかしら? あたし車椅子のことよくわからないから。乗ったことある?」
横に首を振る。今まで健康体で、負傷も殆どしたことのないレオナルドにとってそれは初めての体験でもあった。とりあえず彼女に手を貸してもらいながら腰を降ろす。病院などでみたことあるように自分で動かそうとすると、松葉杖を片付けたエミリーがこちらの後ろにまわってきた。
手をあげて声をあげる。
「ちょっとまって」
「なぁに?」
さも当たり前のようにそちらにやってきた彼女をとめる。
「俺、君に押されるの?」
「そうよ」
「押せる?」
「君みたいなピーマンみたいな人だったら大丈夫」
「......」
とりあえずなにもいう気がなくなったのでそのまま言葉に甘えることにする。エミリーが苦戦するかと思いきや、なんのこともなくレオナルドが乗った車椅子を押して動かしていく。彼女の顔を少しだけ振り返るが、特に力を入れているわけではなさそうだ。
「なに?」
「いや、なんでもない」
そういって前をむく。まさか野菜に例えられるといささか傷心であるが。元々飛行機乗りは海軍や陸軍と違って痩せている人間が多く、それほど筋力向上を求められることは少なく、体躯に恵まれている必要性もあまりない。スコットやジャックの様に運動神経に秀でているのはごく一部だ。
滑らかな床の上を車椅子はゆっくりとしたペースで進んでいく。なんだか肩身の狭い思いだったが、しばらくしたら落ち着いてきたのでよしとすることにした。
廊下はまっすぐ続いていて、一定間隔で扉があった。どこにも特に部屋番号が書かれているわけでもなくただ白い壁に黒い扉がはめこんである、といった感じだ。
「なんなのここ」
「ドクの研究室」
後ろからエミリーがなんのことはないというように答えてくる。廊下の窓から外をみると、そちらは整備された芝生を挟んで大きな倉庫が三つ、並んでおり、そこにまた舗装された道路が続いていた。
「どうしたの?」
うしろから彼女が聞いてくる。外を眺めていたレオナルドは彼女に声をかけられたことにしばらく気がつけなかった。
「ずいぶん広いね」
「元々農場だったから」
「農場?」
「牛とか豚とか」
それだけをいうと、彼女は言葉を切った。それに小さくうなずきながらレオナルドは再び外に視線をやった。そこにある倉庫は外装は黒く塗られ、扉は固くしまっていた。
そう、それはまさしく......
「軍用?」
思わずそうつぶやいてしまう。以前空軍の基地で見かけた倉庫と形が酷似していたからだ。
「元はね。牧場の次は飛行機工場。その次は宇宙船とか作ってたみたいだけど」
「宇宙船?」
「星の周りを飛ぶの」
「それはわかるって。宇宙船なんてつくってたんだ」
「大昔の話よ。今はドクの研究所。外見たい?」
気づけば廊下の端までやってきていた。廊下は九十度左に回っていて、それに沿うように白い壁と扉が続いている。そしてレオナルドの正面には人が二人分通れる程度の扉があった。
レオナルドがうなずくとエミリーはそれの鍵をあけて、扉を押しあけた。そこにあるのは青空と緑色の芝生、そして石畳の道。
透明な空気だった。
「うわぁ」
思わず声に出してしまう。顔にあたる浜風が運んでくるのは潮の香りがする空気だ。
眼前を白い道が通っていて、その脇を芝生がある。それは誰かに手入れされているかのように均等にそろえられていた。
「これ、君たちがやってるの?」
「ううん。ドクが作った芝生狩りのロボットがやってる。うちは基本なんでも自動化なの」
「自動化?」
エミリーはそれには答えずレオナルドの乗った車椅子を押した。小さく乗り上げる音とともに石畳の上を移動していく。
石畳の道は横幅がレオナルドの身長ほどの幅で、人が歩くには十分すぎる広さだった。わずかな段差があるとはいえ車椅子から伝わってくる振動はわずかなものだ。エミリーも難なく押していく。
「あそこが倉庫。いろんなものがはいってるの。ドクの所有物とかあるから勝手にはいっちゃだめだよ」
「俺の機体は?」
「多分あそこじゃないかな。でもドクが許さないから」
「権力者なのか。あの人は」
それに対しては彼女は答えなかった。どうとでもよいというように。
そのまま歩いていくと倉庫は黒くそびえ立っているのが見えた。それが三棟。高さは二階建ての研究所兼住居の建物をわずかに超えるくらいで、高さがあるものも収容できるものと見える。壁は不自然と黒く塗りつぶされていて、所々にLAFのロゴマークがはがれ落ちそうな状態で残っていた。
元々は軍の所有物だったのだ。
特に後ろのエミリーはなにをいってくるわけでもなく、こちらの車椅子を押してくる。二人が移動している道は倉庫と研究所の間を通る道でーーといってもその道の脇にはだたっぴろい芝生があったがーーその先はまた芝生がありそして不思議なことに小さな教会が立っていた。
三つ目の倉庫をこえたところでレオナルドはしばらく行った先にある教会に気がついた。
「あれは?」
「ん、教会、お墓があるの」
「お墓?」
「死んだ人を埋める場所」
彼女はそういうとしばらく間を置いた。それからくるりと車椅子を回した。レオナルドは不思議に思って彼女の顔を見上げる。
「戻りましょ」
「あれ? いかないの?」
「あまりみたくないから」
それだけを伝えてくるとエミリーはやや足早で戻り始める。結局はそこをみせたくなかったらしい。もしくはみたくなかっただけか。レオナルドはホラーを信じないので近寄りたいと思ったのは好奇心だろう。まさか死者が地面から飛び出てくるわけもないだろうに。
結局彼女はそれにふれてほしくなさそうだったのでレオナルドもふれないことにした。何も言わないのがよい時もある。
そう、なにも。