そこにあるのは絶望だけかもしれないのに。
一体何をしたいのだろう。
LEONARDO -- Dark Horse
012
その中を覗くと機体のコックピットが浴槽に浮かぶような形で存在しており、水に浮かぶようにゆらゆらと揺れていた。中にはレーダー機器と操縦桿、スロットルがあり、眼前には大きなディスプレイ。
確かに機体だがどこかレオナルドが使っていたものとは違う。
「マニュアルある? 引き継ぎとか」
そばにあったテーブルに道具類を置きながらレオナルドはドクに尋ねた。
「お前はマニュアルがないと空飛べないのか?」
その問いにドクはあからさまな不快そうな顔をしてみせてきた。さらに、
「マニュアルなんてなくても飛べるんじゃねーの?」
「無理無理」
首を振って否定すると、レオナルドはフライトスーツに腕を通した。マスクや器具を準備しながらふと荷物が少ないことに気がついた。
「あのさ」
「乗ってみればわかる」
ゆっくりとした発音でにべもなく彼はそういってくる。は反論の余地もない。
仕方なくその浴槽のような四角い入れ物を見つめる。相変わらずコックピットが水に浮いているように見える。キャノピィが開いたままになっていて、その中にいつも見る操縦席がある。
半ば無理やりに身体を押し込みつつその中に乗り込むと前を見る。操縦桿を握って前を見据える。
「キャノピィを閉じな」
ドクのその言葉に従ってキャノピィを閉じる。ガラス越しに暗闇と部屋の明かりだけが見えた。が、それも閉じられる。
やがて薄い機械音とともに乗っている機体が移動するのが分かった。さすがに知らない機体で撃墜された空域をテスト飛行とはいえ離陸するのは気が引けたが、やれといわれている以上やるしかない。
マスクをはめると前に向き直る。スロットルと操縦桿を握り締めて息をつく。
やがて揺れがとまると、前方のシャッターが開き始めた。四角い出口があり、海と空が見える。
「ドク、ここでエンジンふかして大丈夫なの?」
尋ねると無線からドクの声が返ってくる。
『ああ。いつも通りやれ』
手を降ってから親指を立てて見せる。スロットルを押し上げてエンジンを入れる。
リヒート。
機体が前身する感覚。
目の前にはいままで窓越しで見ていた風景。
飛べることに特別な快感は抱くわけではないが、ここでやらなければ戻れない。
カタパルトが外される音とともに機体が大きく前進する。ピッチアップ。
テイクオフと同時にレオナルドは腕に力を込めた。
飛べる。
まだ飛べる。
『高度15000まで上昇しろ』
ドクの声。地面がぐんぐん遠くなっていく。それにならうように操縦桿を引いた。リフト・アップ。
高度が上がっていくのは気分がよかった。まるで色々、ごちゃごちゃした感情を後ろに置いていけるようで気分が良かった。
雲を突き抜ける。
『ターンだ』
右に操縦桿を切る。機体がロールしてカーブ。
順調だ。まだ忘れてない。
と。
斜め前に敵機を見つける。
三機。
「ドク! 敵機発見! 三機!」
『撃墜しな』
簡単に言う。そもそも多勢に無勢、よほどのエースでも無い限りは複数機を一人で落とすのは簡単ではない。大規模な戦闘を除いて複数を撃墜するというのは難しいのだ。
だがこの場面になってしまった以上やるしかない。
120度ロールのあと高度を落としながら敵機と近づく。
速度は8000を超えた。腹を擦り合うようにして敵機三機と交錯する。雲を切るようにその姿を目視確認。
さらにロールしてスプリットS。
円形を描くように二機がこちらの後ろについてきた。
ロールして円を描きながら海面すれすれまで高度までさげる。
翼で切られた風で水が大きく瞬く。
機銃が発射されてくる。右。
次は左だ。バレルロール。
大きく円を描きながら後ろをやり過ごそうとするが相手はこちらからひっついて離れない。
レオナルドは操縦桿を大きく後ろに引いた。
ピッチアップ。一気に急上昇。
エンジンの出力を落としつつ操縦桿を倒しサイドスリップ。敵機との距離が近くなったところで操縦桿を操縦桿を一気に倒してクルピット。
敵機が眼前を移動していく。パイロットの顔は見えない。
これでも自分はフランクフィールドの基地のパイロットなのだ。負けてなんかいられるものか。
レオナルドは機銃のスイッチをあげると眼前の敵機目掛けて放った。左翼が吹き飛んだ敵機がバランスを崩して海に突っ込んでいく。水面に機体をこすりつけながら水面に沈んでいく。
レーダーを再び確認すると残り二機はこちらの後ろにまだいる。平行状態にロールし直しインメルマンターン。そのまま横に敵機が突っ切っていくのがみえたのでそのまま速度をあげる。
距離はわずかだ。だが敵機のほうが速度が早い。
ロー・ヨーヨー。高度を稼いでから急旋回。
後ろにつくとミサイルロック。レーダに捉えると同時に放つ。
敵機の翼が爆発する。操縦桿を切って一気に離脱。そのままロールしながら高度をあげていく。
最後の敵が目視できた。すれ違いざまに相手の機体を確認する。
素の瞬間、レオナルドは目を見開いた。
エバンティクスのマーク。
機体の横にそれが描かれていた。思わず喉を鳴らす。
エバンテ?
エバンテなのか?
ドクに伝えるべきか。
レオナルドは息をつくと操縦桿を強く握り締めた。相手がこちらの後ろについてくる。
エルロンロール。操縦桿を切って離脱。だが相手もそれに追随してきた。
「ドク、相手が......」
『撃墜しろ、っつわなかったか?』
確かにその通りだ。でも。
相手は後ろについてきた。操縦桿を切ってシザーズ。レオナルドは自分の歯が鳴っていることに気づいた。
興奮ではない。怖いのだ。
息が荒くなる。海の上で散ったサリーのことを思い出す。
(駄目だ、駄目だ)
考えたら、駄目だ。
ごくりと唾を飲み込むと、レオナルドは一気に操縦桿を押し倒した。
離脱を選択する。
できるだけ離れる。スロットルを押し上げるとリヒート。マッハの領域まで押し込む。時速1300km。
『ゲームオーバーだな。レオナルド』
その無線に思わず体を震わせる。ドクの声だった。
その瞬間機体の揺れがとまり、キャノピィに映っていた景色が暗く変わった。レーダーが暗くなりすべての計測器が止まる。
思わず操縦桿から手を離す。機体が上にあがっていく感覚と同時に頭上が開き、明るくなる。キャノピィが自動的に開いてレオナルドを光の中に飲み込んだ。
「やれやれ、まだ無理か」
ドクが立っていた。
「今のはエバンテをラストボスに設定した戦闘機の訓練シミュレーションだ。俺が作った装置に乗ったパイロットをドッグファイトと同じ状態にし、戦闘時の訓練をする」
「......」
「エバンテは無理か」
「......ドク」
「理解できてないか。しかたない。ほら出ろ。一人で出れないか?」
手が差し出される。それを握ってなんとか浴槽の外に抜け出る。膝に力が入らず思わず地面にへたりこんだ。
「エバンテは見つかったら逃げられない。見つかったら殺される。そしてここら辺はヤツのエリアっていってもいい」
「......無理だ」
「無理だつってたらなんもならんよ。レオナルド君。疲れたか? 水は?」
ペットボトルの水を差し出される。
レオナルドは呆然とそれを見つめた。
「いや、いい」
ふらりと立ち上がる。唖然としたまま扉へと向かう。
ドクは後ろから止めてこようとはしなかった。
自分が見つめていたのは現実なのかもしれない。
どうしようもない現実。
外に出ると晴天だった。それはとても憎いくらい。
何も気にせず飛べるのなら最高だろうなあ、と思いながら石畳の上を歩いていく。煙草を取り出そうとして、二階にすべて置いてきてしまったことに気づいた。小さく嘆息しながらなににともなく右の方をみると、先日エミリーと外に出たときにみた墓地が見えた。
なににともなくそちらに歩いていく。興味があったから、というわけでもない。
そこは石碑がひたすら立っている本物の墓地だった。上部に名前が描いてある。石碑が均等に並んでいる。
それらを眺めながらレオナルドは息をつく。誰の名前かはわからない。
石碑の前にはエミリーが手入れしているのか花々が置いてある。
その中にひとつ、見知った名前があった。
いや、実際は会ったわけではない。
アビー・アンダーソン。
レオナルドは思わず息をのんだ。その石碑に近づいて呆然とそれを見つめる。
「アビーのことを?」
後ろから声をかけられる。視線だけで振り向くとドクが立っていた。
「......」
「ここにきたんだよ。こいつも。治療、間に合わなくて」
「死んだんだ」
小さく呟く。その事実を飲み込むようにレオナルドは息をついた。
「俺、アビーのこと、生きていてほしいって思ってなかったんだ」
膝を落とす。
「今、なんか、安心しちゃって、それは」
「最低? って言ってほしいのか。お前」
ドクがこちらの肩に手をかけてくる。
「ま、気にすんな。どうせお前がどう思おうとそいつが死んだことに変わりはないんだから。ほれ、いくぞ」
「俺、もうちょっとここにいます」
そのとき彼がどういう目でこちらをみていたかはわからない。ただ、
「そうか」
と言ってくれたその声音は優しいものに聞こえた。
自然と、レオナルドの目からは涙がこぼれた。
なぜか、会ったこともないパイロットなのに。