午後。
その週の天気の変わり方は突然だった。
昨日の青空が嘘のように空が黒くなり、雷雨がくる前兆の独特の雷音を響かせ始めた。
雨が降り出すのも時間の問題だろう、とレックスは思った。
「こっちだぜ。メスブタ」
半壊した塀に身を隠しながら中に突入する機会を伺っていた人物の背中に声をかける。その人物は突然背後からかけられた声に驚くようにこちらを振り返った。
「こないだ会ったかな? ティックなら留守だぜ」
そういって拳を握りしめる。
相手がこちらを振り返り、被っていた帽子をとった。そこにあるのはたしかに一昨夜、この塀を半壊させた女だった。顔は包帯できつく巻かれており、目鼻と口だけが見えていた。
あの夜の闇の中ではよくわからなかったが、わずかに見える肌の色は浅黒い。それが地なのかどうかもよくわからなかった。それを見つめながら、間合いをとる。
「マジ?」
どこか懐疑的な口調。それをうけてレックスはにやりと笑った。
「どうだかな。おしえてやらねえよ。そのかわり、お前には話してもらわなくちゃならないことがたくさんあるんだけどな」
それだけを告げると、相手に数歩つめよった。
お互いの視線が交錯する。刹那。
レックスのブーツが地面を蹴り相手に肉薄する。相手の顔面に右の拳を叩き込み、そのまま庭園の中に入った。
すぐに立ち上がった相手が繰り出した蹴りとレックスの腕が交錯する。そのまま蹴りの威力を殺すように後ろに流すと、相手のみぞおちに膝蹴りをいれる。相手の体がくの字に折れ曲がったところをさらにレックスは力を解放した。
手のひらから炎が吐き出され、それは命を与えられたかのように相手の体を包み込んだ。
容赦のない火炎放射を至近距離でくらった相手はたまったものではない。そのまま吹き飛んで庭園の上を転がっていく。
と。
一筋、レックスの頬に水があたる。
上を見上げると、大粒の雨が一筋、また一筋降り始めたところだった。
続いて空で大きな雷が鳴り響いたと同時に、その雨は強さを増した。地面を大粒の水滴が打ち始める。
「やれやれ」
レックスは雨が降り出したことを残念がっているようには思えない口調でつぶやいた。目の前では案の定、雨でレックスの炎を収まらせた女が体勢を立て直し始めている。
彼女をにらみつけながら不敵な笑みをうかべ、
「この雨じゃお前の爆発も意味ないな」
と言った。すると、
「殴り合いってところかしら」
相手はそれだけを返してくると、首をならした。ダメージを受けた様子はない。
もう一押し必要か。
レックスは拳を握りしめると、さらに追撃するべく地面を蹴った。
++++
シュルート私邸を小さくしたようなその別荘は、生活に必要なものが殆どそろっていた。
広さだけで一つのビーチを占有し、庭園の広さはシュルート私邸と殆ど変わらない。ただ、建物の占有率だけは私邸の数分の一ほどの大きさで、あの建物のように歩き回るのに困る程の大きさはない。
あの後レックスとアルフィが用意したこの建物に、ティックとジンは移動した。再び襲撃されるのを防ぐためとレックスは言ったが、ジンには気晴らしの旅行と伝えておいてある。
普段使われていない建物のわりに、きちんと整備されていた。
ここを整備しているのも例の機械たちなのだろうが、感染していないのが不幸中の幸いといったところだろう。二人の荷物を運び入れたあと、ジンがこちらをみてきた。
「よいしょっと。ここでいいかな?」
「うん。大丈夫。寝るとことかみておきなよ。あと荷物の整理しといてね」
そこまで言葉をつづけて、彼が実際に動き出したところまではよかったー−ーと、彼の腹部が空腹時独特の音を鳴ったことに気づく。
「ジン、おなかすいてない?」
軽く頷き返しながら訊ねると、ジンは首を振った。鞄の中に目をやりながら------こないだ二人で買い物に出かけたときに買ったものだ------聞きかえしてきた。
「へった。ティックは?」
「私はまだ平気だけど一緒に買い物いこっか。一週間もいるんだから、ちょっとは慣れとかないとね。あ、その前にキッチンいってくる。なにがあるのか確かめないと」
そういって笑ってみせた。その笑顔が作り物だと思われないように気をつけながら、ドアを開けてキッチンへ向かう。
そこで急に気が抜けてしまう。作り物の顔はあまり得意じゃない。
そもそも相手の状態をみて笑顔を作るというのがティックは苦手なのだ。聞き上手であろうと努めてはいるが、それでも気持ちがにじみ出てしまう。
外に表情を出さずに相手の話を聞ける人を見るとどうやってそういうことができるのかと感心してしまう。今の自分が『ジンがもうすぐ死んでしまうから』というのを考えながら『普通通り』一緒に過ごす事ができるのかどうか、自分に問いつめてみる。正直自信がなかった。
ある日、口を滑らせてしまわないかどうかが不安だった。そんなことはないと信じたいけれど。
キッチンの前につくと、ティックはそこの中から物音がすることに気づいた。リビングでジンが先回りできるはずもない。ティックは思わず警戒心を強めた。
誰?
耳を澄ますと、声が聞こえてくる。
「博士、終わった?」
「ああ、問題ない」
へぇ。問題ないの?
こっちは問題ありすぎなんだけど、と心の中で皮肉をつぶやきながらわずかなドアの隙間から中をのぞいた。
黒髪をショートカットにした、黒服の女------イヴがそこにいた。
手元の注射器を揺らせながら、彼女は目の前の男に言った。
「博士、本当にこれでいいの? これで発現しなかったらあたし首切られるよ」
「ああ、大丈夫だ。お前らが『B』の注射まで終わっていればな。報告書に嘘を書いてなければこれできちんと事は進むはず」
そう答えたスーツ姿の壮年の男性------アルフィとジンの父親、ロドリゴだった。彼とイヴがここにいる事、そして話している内容にティックは驚いた。
目の前の棚を閉じながらロドリゴはつづけた。
「例の注射まで終わっているのであればこれであとは問題ない。あとは彼がどういう反応を示すかだが------」
「終わったら、どうすんの?」
「カルとのやりとりは終わっているから、あとは実用化か。第一フェーズは終了だな」
彼がそういって注射器をケースにいれ、懐にしまった。
ティックはここで自分の中に一つの大きな疑問がわいてくるのがわかった。どうして彼はジンを殺そうとしているのだろう。確かアルフィは『家族を失うのが怖い』と話していた。だとしたらここにロドリゴがいて、ジンの死に手を貸しているのはおかしい。
だがそんなこちらの疑問をよそに、二人は手と注射器でキッチンの中のものにその『薬』を次々とさしこんでいった。
その週の天気の変わり方は突然だった。
昨日の青空が嘘のように空が黒くなり、雷雨がくる前兆の独特の雷音を響かせ始めた。
雨が降り出すのも時間の問題だろう、とレックスは思った。
「こっちだぜ。メスブタ」
半壊した塀に身を隠しながら中に突入する機会を伺っていた人物の背中に声をかける。その人物は突然背後からかけられた声に驚くようにこちらを振り返った。
「こないだ会ったかな? ティックなら留守だぜ」
そういって拳を握りしめる。
相手がこちらを振り返り、被っていた帽子をとった。そこにあるのはたしかに一昨夜、この塀を半壊させた女だった。顔は包帯できつく巻かれており、目鼻と口だけが見えていた。
あの夜の闇の中ではよくわからなかったが、わずかに見える肌の色は浅黒い。それが地なのかどうかもよくわからなかった。それを見つめながら、間合いをとる。
「マジ?」
どこか懐疑的な口調。それをうけてレックスはにやりと笑った。
「どうだかな。おしえてやらねえよ。そのかわり、お前には話してもらわなくちゃならないことがたくさんあるんだけどな」
それだけを告げると、相手に数歩つめよった。
お互いの視線が交錯する。刹那。
レックスのブーツが地面を蹴り相手に肉薄する。相手の顔面に右の拳を叩き込み、そのまま庭園の中に入った。
すぐに立ち上がった相手が繰り出した蹴りとレックスの腕が交錯する。そのまま蹴りの威力を殺すように後ろに流すと、相手のみぞおちに膝蹴りをいれる。相手の体がくの字に折れ曲がったところをさらにレックスは力を解放した。
手のひらから炎が吐き出され、それは命を与えられたかのように相手の体を包み込んだ。
容赦のない火炎放射を至近距離でくらった相手はたまったものではない。そのまま吹き飛んで庭園の上を転がっていく。
と。
一筋、レックスの頬に水があたる。
上を見上げると、大粒の雨が一筋、また一筋降り始めたところだった。
続いて空で大きな雷が鳴り響いたと同時に、その雨は強さを増した。地面を大粒の水滴が打ち始める。
「やれやれ」
レックスは雨が降り出したことを残念がっているようには思えない口調でつぶやいた。目の前では案の定、雨でレックスの炎を収まらせた女が体勢を立て直し始めている。
彼女をにらみつけながら不敵な笑みをうかべ、
「この雨じゃお前の爆発も意味ないな」
と言った。すると、
「殴り合いってところかしら」
相手はそれだけを返してくると、首をならした。ダメージを受けた様子はない。
もう一押し必要か。
レックスは拳を握りしめると、さらに追撃するべく地面を蹴った。
++++
シュルート私邸を小さくしたようなその別荘は、生活に必要なものが殆どそろっていた。
広さだけで一つのビーチを占有し、庭園の広さはシュルート私邸と殆ど変わらない。ただ、建物の占有率だけは私邸の数分の一ほどの大きさで、あの建物のように歩き回るのに困る程の大きさはない。
あの後レックスとアルフィが用意したこの建物に、ティックとジンは移動した。再び襲撃されるのを防ぐためとレックスは言ったが、ジンには気晴らしの旅行と伝えておいてある。
普段使われていない建物のわりに、きちんと整備されていた。
ここを整備しているのも例の機械たちなのだろうが、感染していないのが不幸中の幸いといったところだろう。二人の荷物を運び入れたあと、ジンがこちらをみてきた。
「よいしょっと。ここでいいかな?」
「うん。大丈夫。寝るとことかみておきなよ。あと荷物の整理しといてね」
そこまで言葉をつづけて、彼が実際に動き出したところまではよかったー−ーと、彼の腹部が空腹時独特の音を鳴ったことに気づく。
「ジン、おなかすいてない?」
軽く頷き返しながら訊ねると、ジンは首を振った。鞄の中に目をやりながら------こないだ二人で買い物に出かけたときに買ったものだ------聞きかえしてきた。
「へった。ティックは?」
「私はまだ平気だけど一緒に買い物いこっか。一週間もいるんだから、ちょっとは慣れとかないとね。あ、その前にキッチンいってくる。なにがあるのか確かめないと」
そういって笑ってみせた。その笑顔が作り物だと思われないように気をつけながら、ドアを開けてキッチンへ向かう。
そこで急に気が抜けてしまう。作り物の顔はあまり得意じゃない。
そもそも相手の状態をみて笑顔を作るというのがティックは苦手なのだ。聞き上手であろうと努めてはいるが、それでも気持ちがにじみ出てしまう。
外に表情を出さずに相手の話を聞ける人を見るとどうやってそういうことができるのかと感心してしまう。今の自分が『ジンがもうすぐ死んでしまうから』というのを考えながら『普通通り』一緒に過ごす事ができるのかどうか、自分に問いつめてみる。正直自信がなかった。
ある日、口を滑らせてしまわないかどうかが不安だった。そんなことはないと信じたいけれど。
キッチンの前につくと、ティックはそこの中から物音がすることに気づいた。リビングでジンが先回りできるはずもない。ティックは思わず警戒心を強めた。
誰?
耳を澄ますと、声が聞こえてくる。
「博士、終わった?」
「ああ、問題ない」
へぇ。問題ないの?
こっちは問題ありすぎなんだけど、と心の中で皮肉をつぶやきながらわずかなドアの隙間から中をのぞいた。
黒髪をショートカットにした、黒服の女------イヴがそこにいた。
手元の注射器を揺らせながら、彼女は目の前の男に言った。
「博士、本当にこれでいいの? これで発現しなかったらあたし首切られるよ」
「ああ、大丈夫だ。お前らが『B』の注射まで終わっていればな。報告書に嘘を書いてなければこれできちんと事は進むはず」
そう答えたスーツ姿の壮年の男性------アルフィとジンの父親、ロドリゴだった。彼とイヴがここにいる事、そして話している内容にティックは驚いた。
目の前の棚を閉じながらロドリゴはつづけた。
「例の注射まで終わっているのであればこれであとは問題ない。あとは彼がどういう反応を示すかだが------」
「終わったら、どうすんの?」
「カルとのやりとりは終わっているから、あとは実用化か。第一フェーズは終了だな」
彼がそういって注射器をケースにいれ、懐にしまった。
ティックはここで自分の中に一つの大きな疑問がわいてくるのがわかった。どうして彼はジンを殺そうとしているのだろう。確かアルフィは『家族を失うのが怖い』と話していた。だとしたらここにロドリゴがいて、ジンの死に手を貸しているのはおかしい。
だがそんなこちらの疑問をよそに、二人は手と注射器でキッチンの中のものにその『薬』を次々とさしこんでいった。


