「ティック! ティック!」
その声が遠くから聞こえてくる。
意識を元に戻すまで、しばらくかかった。
「う......」
靄がかかった視界の先に、赤い瞳と髪の毛が見える。
「ああ......レックス......」
「しっかりするんだ。ほら」
こちらの頭が元に戻るまで、しばらく時間があったような気がする。彼がこちらを抱き上げているのはわかるが、いまの自分の状態をうまく把握できない。自分の身体を認識できない辛さというのは、初めてだった。
まだ、死んではいない。
自分は、ここにいる。
「大丈夫か?」
「い、イヴは......」
レックスからドアのほうに視線を映し、そこを見つめながらやっとの思いで口を開く。
「マいたよ。ちょっと手間取ったけどな」
「レックスは......大丈夫? ジンは......?」
そしてレックスに視線をやる。よく見ると彼の衣服は破け、あちこちが薄汚れている。
「俺なら大丈夫だ。ジンも奪い返した。リビングに寝かせているよ。たてるか?」
レックスに引っ張られるようにティックも立ち上がり、彼の肩に手をついた。額の第三の目がまだ開いていることを確認すると、その力を足先まで広げた。しばらくしたら身体の自由がもどることを確認し、息をつく。
と。
家中に響くような苦鳴が聞こえてくる。悲鳴とは異質な響きをもった、苦しんでいる動物が出すような大きな叫びだった。
「......ジン?」
「何だ?」
二人は同時にそうつぶやいた。そして、リビングに駆け足で急いだ。
そこにはソファから転げ落ちたジンが、胸を抑えてのたうち回っていた。
「ジン!」
ティックが悲鳴のような声をあげて近寄った。身体が元に戻りつつあったが、それを驚く余裕は自分にはなかった。急いで彼を抱き上げる。彼の手がこちらの二の腕をつかんでくるのを感じた。
「しっかり。大丈夫?」
「......て、ティック......駄目......こないで......」
「私は大丈夫。ロドリゴになにかされなかったの?」
そういっている間にこちらの腕をつかむジンの手に力がこもっていく。
「なんか、変な注射をうたれたよ......こいつは失敗しないって。僕は......」
そこまで話すと、突然ジンの腕が灰色の装甲のようなものに包まれ始めた。それはティックの腕をつかんだ手の指の先までを覆うと、一気に異様な力を込めてくる。
......ウイルス?
ティックが思考を巡らせている間に、続けて彼の腕があがり、骨格がきしむ音とともに指が三十センチの刃物に変わった。さらにそれが大きく振りかぶるとティックの胸に叩き付けられる。
「まずい」
レックスが後ろでつぶやくのが聞こえた。と同時にティックの右肺の部分を貫くようにその腕は突き刺さった。毛細血管と気泡が絡まってティックの背中から突き出す。
激痛と同時に意識が再び飛びそうになる。が、ティックはそこでなんとか持ちこたえた。口を開き、何か言おうとするが、彼の目はすでに獣のそれに変わっていた。
そこで確信する。もう言葉は通用しないことを。
背中に空いた穴からすべての感情が流れていくような感覚に襲われる。そして自分の命も。
たん、という地面が蹴る音とともにレックスがティックの脇をすり抜けた。そしてティックの中に腕をのめり込ませたままのかつてジンだった生き物に拳を加えた。
その顔面をつぶすような勢いで加えられた衝撃が彼をふきとばす。つづけてその勢いはそのままティックの胸からその生き物の腕が抜け、傷口から大量の血が吹き出した。
床を転がっていく彼を見つめ、それからティックはぽっかり穴があいた右胸を抑えた。身体の大きな穴と同時に心にも穴が空いたようだった。いろいろなものが修復不可能な穴をうちぬいて、ぼろぼろと崩れていくような感覚だった。
千切れた血管が穴からだらりと垂れ下がり気道を血液が逆流する。口の中にたまったそれを吐き出すとティックは膝をついた。力が入らない。
フローリングの床がどす黒い血液に染まっていくのを見ながら、自分の命を冷静に考えた。冷静に考えるだけの思考能力が残っていることに感謝した。
おそらくもう長くない。
と。
顔を上げると、眼前ではレックスが懐から拳銃を取り出していた。どうやらその生き物の頭を打ち抜くつもりらしい。
ティックの目の前でかちり、と撃鉄があげられる音が響く。
まさに引き金がしぼられそうになった次の瞬間、そこでティックは彼の腕を掴んで引き寄せた。
「なんだ?」
「彼は化け物じゃない」
レックスの動きをとめて、そのままその化け物--------ジンに歩み寄る。
それは目の光を取り戻そうとしていた。
(側には私がいるよ)
(うん。ありがとう------)
それはもう化け物ではない、ジン・シュルートだった。
赤く光っていた瞳は元の輝きを戻そうとしていた。
「......う......ティック」
「ジン。大丈夫?」
優しく声をかける。乱れたジンの髪を直しながらその頭を撫でつける。
「ごめんね。レックスがきてくれたよ。アルフィのところにつれてってくれるって。君のことを治療できるんだって。だから......」
「......あたたかいね。ティックは」
ジンはそういうと、ティックの手を握った。言葉にならない言葉を紡ごうとしているティックの頬に、無事な方の手で触れる。
「......泣かないでよ。僕は......幸せだったから。この、数週間があったから......生きててよかったって......思えたから......」
そういわれてティックは自分の目から、血じゃないなにかがつたっていることに初めて気がついた。
だが、それを自分でぬぐえなかった。目が見えなくなるくらい瞳にたまったそれが彼の顔を濡らしていることにも気づいていた。
「ホントに? ごめんね。すぐに。すぐに助けてあげれるから。だから......」
「......ん......ありがとう......ティック......大......好き......だ......よ......」
途切れ途切れの言葉でそこまでいうと、ジンの力は抜けていった。
最後、胸が小さくなり、再び膨らむことはなかった。
彼はもういない。
その声が遠くから聞こえてくる。
意識を元に戻すまで、しばらくかかった。
「う......」
靄がかかった視界の先に、赤い瞳と髪の毛が見える。
「ああ......レックス......」
「しっかりするんだ。ほら」
こちらの頭が元に戻るまで、しばらく時間があったような気がする。彼がこちらを抱き上げているのはわかるが、いまの自分の状態をうまく把握できない。自分の身体を認識できない辛さというのは、初めてだった。
まだ、死んではいない。
自分は、ここにいる。
「大丈夫か?」
「い、イヴは......」
レックスからドアのほうに視線を映し、そこを見つめながらやっとの思いで口を開く。
「マいたよ。ちょっと手間取ったけどな」
「レックスは......大丈夫? ジンは......?」
そしてレックスに視線をやる。よく見ると彼の衣服は破け、あちこちが薄汚れている。
「俺なら大丈夫だ。ジンも奪い返した。リビングに寝かせているよ。たてるか?」
レックスに引っ張られるようにティックも立ち上がり、彼の肩に手をついた。額の第三の目がまだ開いていることを確認すると、その力を足先まで広げた。しばらくしたら身体の自由がもどることを確認し、息をつく。
と。
家中に響くような苦鳴が聞こえてくる。悲鳴とは異質な響きをもった、苦しんでいる動物が出すような大きな叫びだった。
「......ジン?」
「何だ?」
二人は同時にそうつぶやいた。そして、リビングに駆け足で急いだ。
そこにはソファから転げ落ちたジンが、胸を抑えてのたうち回っていた。
「ジン!」
ティックが悲鳴のような声をあげて近寄った。身体が元に戻りつつあったが、それを驚く余裕は自分にはなかった。急いで彼を抱き上げる。彼の手がこちらの二の腕をつかんでくるのを感じた。
「しっかり。大丈夫?」
「......て、ティック......駄目......こないで......」
「私は大丈夫。ロドリゴになにかされなかったの?」
そういっている間にこちらの腕をつかむジンの手に力がこもっていく。
「なんか、変な注射をうたれたよ......こいつは失敗しないって。僕は......」
そこまで話すと、突然ジンの腕が灰色の装甲のようなものに包まれ始めた。それはティックの腕をつかんだ手の指の先までを覆うと、一気に異様な力を込めてくる。
......ウイルス?
ティックが思考を巡らせている間に、続けて彼の腕があがり、骨格がきしむ音とともに指が三十センチの刃物に変わった。さらにそれが大きく振りかぶるとティックの胸に叩き付けられる。
「まずい」
レックスが後ろでつぶやくのが聞こえた。と同時にティックの右肺の部分を貫くようにその腕は突き刺さった。毛細血管と気泡が絡まってティックの背中から突き出す。
激痛と同時に意識が再び飛びそうになる。が、ティックはそこでなんとか持ちこたえた。口を開き、何か言おうとするが、彼の目はすでに獣のそれに変わっていた。
そこで確信する。もう言葉は通用しないことを。
背中に空いた穴からすべての感情が流れていくような感覚に襲われる。そして自分の命も。
たん、という地面が蹴る音とともにレックスがティックの脇をすり抜けた。そしてティックの中に腕をのめり込ませたままのかつてジンだった生き物に拳を加えた。
その顔面をつぶすような勢いで加えられた衝撃が彼をふきとばす。つづけてその勢いはそのままティックの胸からその生き物の腕が抜け、傷口から大量の血が吹き出した。
床を転がっていく彼を見つめ、それからティックはぽっかり穴があいた右胸を抑えた。身体の大きな穴と同時に心にも穴が空いたようだった。いろいろなものが修復不可能な穴をうちぬいて、ぼろぼろと崩れていくような感覚だった。
千切れた血管が穴からだらりと垂れ下がり気道を血液が逆流する。口の中にたまったそれを吐き出すとティックは膝をついた。力が入らない。
フローリングの床がどす黒い血液に染まっていくのを見ながら、自分の命を冷静に考えた。冷静に考えるだけの思考能力が残っていることに感謝した。
おそらくもう長くない。
と。
顔を上げると、眼前ではレックスが懐から拳銃を取り出していた。どうやらその生き物の頭を打ち抜くつもりらしい。
ティックの目の前でかちり、と撃鉄があげられる音が響く。
まさに引き金がしぼられそうになった次の瞬間、そこでティックは彼の腕を掴んで引き寄せた。
「なんだ?」
「彼は化け物じゃない」
レックスの動きをとめて、そのままその化け物--------ジンに歩み寄る。
それは目の光を取り戻そうとしていた。
(側には私がいるよ)
(うん。ありがとう------)
それはもう化け物ではない、ジン・シュルートだった。
赤く光っていた瞳は元の輝きを戻そうとしていた。
「......う......ティック」
「ジン。大丈夫?」
優しく声をかける。乱れたジンの髪を直しながらその頭を撫でつける。
「ごめんね。レックスがきてくれたよ。アルフィのところにつれてってくれるって。君のことを治療できるんだって。だから......」
「......あたたかいね。ティックは」
ジンはそういうと、ティックの手を握った。言葉にならない言葉を紡ごうとしているティックの頬に、無事な方の手で触れる。
「......泣かないでよ。僕は......幸せだったから。この、数週間があったから......生きててよかったって......思えたから......」
そういわれてティックは自分の目から、血じゃないなにかがつたっていることに初めて気がついた。
だが、それを自分でぬぐえなかった。目が見えなくなるくらい瞳にたまったそれが彼の顔を濡らしていることにも気づいていた。
「ホントに? ごめんね。すぐに。すぐに助けてあげれるから。だから......」
「......ん......ありがとう......ティック......大......好き......だ......よ......」
途切れ途切れの言葉でそこまでいうと、ジンの力は抜けていった。
最後、胸が小さくなり、再び膨らむことはなかった。
彼はもういない。


