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 朝。
 朝食の準備をしているティックをみて、起きてきたジンが目を丸くした。
「どうしたの?」
「おはよう。どうもしてないよ」
 にっこり笑って返すが、傍目からみるティックの様子はいつもとは違う。
 頭には包帯がまかれ、顔には絆創膏が貼付けてある。Tシャツをきて料理しているため腕の包帯や絆創膏がむき出しになっている。
 昨日のあの騒ぎの間、ジンは目覚めなかった。こうして何事もなかったかのように二人で朝を迎えられる事がティックは嬉しかった。あの女のために彼が犠牲になるのはまっぴらごめんだった。
「ほんとに? なんで夜でそんなけがしてるの?」
 彼はダイニングチェアに座り込みながらこちらを見つめてくる。本当に心配してくれているのだということがわかってティックは安心した。フライパンから焼いたエッグトーストを移すと、軽い沈黙をおいて口を開いた。
「たいしたことではないよ。いろいろあってね」
「ちょっと?」
 それからジンは窓の外に目をやった。そして、
「うわぁ」
 と、驚いた声。
 予想通りかな、と声にださずに心の中でつぶやくと、ティックは二人分をテーブルに置いた。それから外の荒れた光景をみている彼をつっつく。
「ごはんできたよ」
「あ、うん。なにあれ......」
「その、ちょっと、いろいろあって」
 口ごもるしか無かった。まさか夜中に赤の他人がやってきて塀を破壊しつくすような大爆発を起こして帰っていったんだよ、というわけにもいくまい。とりあえずは。
「あのさ」
 ティックが口を開こうとすると、ジンがこちらをむいて言ってきた。
「あのさ、ティック。本当のことを、教えてくれないかな」
「え?」
 突然の言葉に反応できずにいると、彼はつづけてきた。
「いま、ごまかそうとしてるでしょ? 僕のため。なのかどうかわからないけど」
「うん」
「本当のことを教えて。僕の周りで、一体なにがおきてるの?」
 彼の目は本気だった。ティックと自分の周りで起きている異常を感じとっていた。
 どうしようもない事態。
「言って信じる? 私はあまり話したくないんだけどな」
「信じるよ」
 ジンはそういうと椅子に深く座り直した。それから大きくため息をつくと、テーブルの上に視線を落とす。
「なんか嫌な予感がするんだよ」
「そうだね。悪い事が起きてるよ。確かに。でも君のことはちゃんと守るよ。大丈夫」
 ティックはそういって、自分の皿の上のエッグトーストをかじった。それから半壊した塀に目をやった。
「あれ、どうしようかな」
「......」
 その声に返事はなかった。彼ができなかったわけではないだろうが。
 二人が視線を送る崩れた塀の上には、ずっと青空が広がっていた。


 ++++


 食事も終わり、ジンが部屋に戻った後ティックが食器を片付けていると突然声がかかった。
「情がはいってんな」
 横目でみると、食堂の入り口にレックスが立っていた。壁に体重をかけるようにして、かるく腕を組んでこちらをみてきている。
「失ったとき辛いぞ。でもそれ、いつもだろ?」
 皮肉げに口の端をゆがめながらそういってくる彼から視線をはずし、ティックは洗った皿を一枚、乾燥機の中にいれた。
 そこで手をとめ、大きく息をついた.
「あのさ、レックス。私たちのことにまで口を挟まないでもらえる? 別にどこで誰を思おうと私の勝手。だよね」
「そう、勝手だよな。でもさ、そうなって失ってお前何回辛い思いした? 前のとき学ばなかったのか?」
 静かにそういうと、彼はとなりの棚から缶コーヒーを取り出した。彼がそれを手に軽く握ってから口をあけると、それは次の瞬間には湯気をたてていた。
「ん」
 口に運ばずに怪訝そうな顔をするレックスに、ティックは作業を再開しながら作業を開始した。
「それ、飲まないほうがいいよ」
「俺たちは感染はしないさ。だけど、人間には猛毒だな」
 彼はそういってその缶を握りつぶした。中身は蒸発してしまったのか、床には一滴もこぼれなかった。
「ほかのものはどうしたんだ?」
「この家はかたっぱしから調べたよ。食材はいれられてた。水道も感染してた。全部取っ払ったけど、ジンの体はあと一週間は持たないと思う」
 ティックはそういうと、蛇口を閉めた。それから大きくため息をついた。その背中に声がかかる。
「調べたのか?」
「うん。アルフィにもきいた」
 そういってから手近なスツールに座り込んだ。立っているとそのまま床に倒れ込んでしまいそうだった。
 これから一週間は辛くなるだろう。
「どっちにしても、ここは離れる必要がある」
 こちらの肩を軽くたたくとレックスが言ってきた。彼にしては珍しい、慰めるような声音だった。
「またイヴがくる。それに、今度はもっと手強いヤツをつれてくるかもしれない。そうしたら......」
 ティックはなにもいわない。ただうつむきながらフローリングの床を見つめている。視界の端にレックスの黒いブーツが見えた。
 何処かに小さくて丈夫な箱がほしかった。そこに自分の心を放り込んで、自分はどこか狭い場所に入り込んでじっとしていたかった。
 結局は、逃げただけにすぎず、ジンとの約束を破ることになる。
 彼が軽く呼吸を整えると、
「なあティック、こういう考え方はどうだろう」
 こちらの顔を覗き込むようにしゃがみこみ、つづけてきた。
「あと一週間、五日か。その間に、お前がジンを人間にしてやるんだ。生きててよかったって思えるように」
「人間に?」
「そう。別に普通に外にでて買い物するとか、遊びにいくとか、そういうのでな。多分それだけでも違うと俺は思うぜ。あいつがひとりで傷ついているのはわかるが、どんなふうに辛いのかは俺はわからないから。どうせ離れられないんだったら、そういうのを癒してやるのはお前でいいんじゃないか?」
 そこで一息つき、レックスは頭を振った。こちらを見上げていた視線をはずし、窓の外に目をやる。
「明日までに、新しい隠れ家を手配してやるよ。だから早まるなよ。ちょっと心を落ち着かせて、それからジンのそばにいてやるといい」
 その決断が彼に負担をかけることは理解できた。そのままアルフィにとって辛い出来事になることも。
 ティックはそこではじめて、彼の猫のように赤みがかった黒い目を見つめた。その目が真剣に物事を話してくれていることを感じとる。
 それから小さく頷くと、
「ありがとう」
 とだけいった。彼も頷き返すとこちらの手を励ますようにたたき、レックスは立ち上がってきびすをかえした。そのまま食堂を出て行く彼の背中を見送り、ティックは大きく息をついた。
 まだまだやらなければならないことがある。
 だが、なにからはじめればいい?

 あと五日。その数字だけが重く背中にのしかかっていた。
 だが、さっきまで破裂しそうだった心は、別の暖かさで満たされていた。

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