Openning 2
「あーあ。逃げ出しちゃったか」
破られた壁を眺めながら彼女はそう呟いた。破片をかるく蹴飛ばす。
「すまない。予想できれば対策うったんだが......」
「無理でしょ」
「まあな」
彼はそういって鼻息をならした。それに重ねる様に彼女は言葉を投げてきた。
その視線はコンクリートに開けられた壁に向けられたままだ。
「次の検体は決まってるの?」
「ああ」
「誰?」
「バレエダンサーだ」
「かわいそうにね」
科白とは正反対のまるで感情を含まない声音でそれだけを呟くと、彼女は深呼吸しながら空を仰いだ。
「殺されるのは何人?」
「七人だな。今の予定では」
踵を返す。眼下に倒れているそれを見やる。
血まみれの頭部からは僅かに脳が見えている。そして半分に切断された頭部。
死体。それが五十体、延々と部屋に広がっている。
「七人死ぬはずだ」
「うまくいくかしら」
「そうでないとこまる」
そういって彼は歩き始めた。
++++
聞き続けるのは嫌じゃない。
ただ話すのが苦手なだけだ。
その女の子はずっとしゃべり続けていた。はじめにかわした自己紹介から、ずっと。
アレシェンカからすれば、どうすることができるものでもない。物心ついたときから命がけの訓練の中で生きてきた自分からすれば「普通」の存在自体道を行く猫の集団を眺めるのと対して変わりがないからだ。眩しくもなかった。普通のもの。
だが、並んで座ったとたんそれは強烈な眩しさをアレシェンカの目にもってきた。
ああ、またか。
ただ、彼女はやばい。
彼女は。
こちらの葛藤を他所に、彼女はこちらの顔を覗き込むようにして笑いかけてきた。
「あたしフランカっていうの。あなた、お名前は?」
「......アレシェンカ」
「変わった名前ね。でも素敵な名前」
「うん」
「いくつなの? 何年生? クラスどこになるの?」
「どこだろ......まだクラスまでは聞いてないの。歳は十六」
「同い年? あたしも十六。嬉しいわ。同い年の子が増えてくれて......一応六年生のクラスになるけど、アレシェンカも一緒になれるかなあ」
彼女はそういうと本当に嬉しそうに笑った。アレシェンカもつられて笑った。
どうしていいのかわからない。なにより質問されるのが困る。
それに仲良くしすぎるのもよろしくない。ニコライには見かけたら殺せと言われているのだ。
小言を言ってくる上司の顔が思い浮かんだが、アレシェンカは腰の銃を掴む。それを引き抜こうとしてから元に戻す。
それから黙り込むのも不自然だと感じたので質問を相手に投げた。ほんの、会話をつなぐための瑣末な質問。
「バレエやってるの?」
「三歳からやってる。ハイスクール通いながらバレエ学校いってるわ。掛け持ちみたいなもん」
「......それって」
「昼間勉強。夕方からバレエ。本当はポリジョイ・バレエ学校入ってバレエ一本でいきたかったんだけど、兄さんが勉強もちゃんとやれって。夜中の勉強もちゃんと見られてるから、練習する時間なくなっちゃうの」
「......兄さんも一緒なの?」
ああ、またか。
なぜか続けてしまう。
「ううん。兄さんはサッカー選手なの。仕送りもらってて。で、姉さんとあたしは学校いってて、同じ部屋にはいってるの。あ、姉さんは大学生なんだけど。今勉強中だから、こっそり抜け出してきたの。そうでもないとこの練習できないから」
「そうなんだ......大変だね」
うなずきながらアレシェンカははてと思った。ここの住民は全員いないはずだ。
だがいたところで避難させるいい手が思い浮かばない。焦燥を顔に出さない様に必死に隠すアレシェンカとなにやら考えているフランカ。並んで座る二人の間に沈黙が落ちる。
しばらくしてからフランカが口をひらいてきた。
「ねえ、いつから学校くるの?」
「え、いつだろう......まだ書類がかえってきてないから」
「早くこれるといいね」
「う、うん」
相手の笑顔に気圧されるようにアレシェンカはうなずいた。そして抱えた膝を見つめ、
「ねえ、フランカ。あたしもういかなきゃ」
「もう行っちゃうの?」
「うん。夜遅くまでいると、心配するから」
誰が、とまでは言わない。だがフランカは自分の中で解釈したようだった。
「あー、親に怒られるんでしょ? 門限とかあるの?」
「あ、うん。そんなとこ......」
「お嬢様なんだね。アレシェンカ」
その台詞を否定するようにアレシェンカは首をふる。
「ちがうわ。ただ単に早くかえってきなさいっていわれたの」
「あはは」
さらっと言ってくる彼女を唖然と見つめる。こんな初対面の相手を家に呼ぶものなのだろうか。
それとも、同い年の女の子はみんなこんなものなのだろうか。
「お話してくれてありがとね。また会いましょ」
こちらは殆ど話していないにも関わらず、彼女はそういってきたのできょとんとする。が、次の瞬間にはアレシェンカは笑顔に戻っていた。自分の顔の筋肉を疑いたくなるくらいの笑顔だった。
「うん。ありがとう。ごめんね」
どうしてだろう。
先刻少女と交わした会話の端々がおぼろげに浮かんでは消えていく。街の空気が冷え込みつつあった。
集中暖房がつけられるにはまだ早い。が、寒さを日常的に感じるわけでもない。微妙な季節である。
空気の変化によるものだろうが、いつものこの時期に比べればまだ暖かい方だろう。コートは必須だが別になくてもいける程度の中途半端な気温。背中からコンクリートの冷たさが伝わってくる。
別に自分の格好に違和感を感じる訳ではないが、自分の中に違和感はあった。
懐の中のその機械を掴むとアレシェンカは下唇を噛んだ。
そういえば最後にあったあの女の子はずいぶん薄着だったことを思い出す。が、先程までその子と会話を交わしていたアパートの部屋はすでに眼前で瓦礫の中に埋もれている。こんなことになるのであれば一緒に連れ出せばよかったか。
パニックは避けられなかっただろうが。
息をつく。混沌とした感情は押さえきれず、覆わずいつもの口癖となって漏れた。
「......死にたい......」
小さく口の中で呟きながら、そのアパートを見つめた。もうそれはアパートとは呼べないかもしれない。十階程あったアパートは見事に倒壊し、元の集合住宅の後影はない。以前の姿からは想像できないコンクリートの固まりの間に、住民達の遺体が見えた。
ここは普段は多くの土産物屋やカフェが立ち並ぶ歩行者天国の近郊にあるため夜でもそれなりに明るい。だが、今の時間帯は時間だけに昼間の喧噪が嘘のように静まり返っている。遠くでサイレンの鳴る音を聞きながらぐったりと力を抜いた。
神経が伝えてくる情報を元に自分の怪我を分析する。
(右腕と......左足。背骨はやられてないか......頭に裂傷)
出口をでる瞬間に吹き飛ばされたのだ。その大きな通りにかぶさる夜の闇が、心なしかいつもより深く見えた。
違うよ。アリー。
「ああ」
ふと呟いてみる。それが口の中でチョコレートのように溶けていくのを感じながらため息とともに言葉で滑りでる。
「死にたい......」
相変わらず冷たい機械の感触を体中に感じながら、茫洋とした視線をコンクリートに這わせた。
そこに転がっているのは自分とそれほど歳の違わない少女の遺体だった。
彼女は両足と片腕を失っていた。黒く焼けこげた火傷が醜い怪我をさらしている。傷口が一瞬で炭化したのか血は流れていない。
数十メートル程吹き飛ばされたらしい。それだけ強い爆発を直接受けた住民達はひとたまりもないだろう。生存者はいるのだろうか。
無事な方の左手で帽子の中からこぼれ落ちていた金髪を押し込み、その建物を見つめる。自分は国を守るために誰かを傷つけたのではなく、上の命令で目の前の人々の生活を壊したのだ。アレシェンカが傷つけたのは同じ国の人間なのだと。
やるせない気持ちに歯噛みする。理不尽さに対してなにもできない自分が嫌になった。
やがてサイレンの音が遠くなる。
目を閉じると、そのまま暗闇に落ちていくようだった。