Episode 2 : Guard Friend



 
 
 目をあける。瞼が重い。
 思考はぐるぐると回る。ただ、その中で誰かの声が響いている。
 自分と同じ部屋の中で声が聞こえる。
(それじゃ、本当にいいの?)
(ええ。この子が元通りになるなら)
(といっても定期検診は必要だよ。まあ今回のケースは治療費用は国が負担してくれることになるけどね)
(そうね)
(じゃあ、アリー、本当に間違いないか? 彼女は良いって言ってたのか?)
(……思考を読んだのをそのまま伝えただけだもの)
(そうか。それでははじめるとするか)
 
 そこで終わる。途切れる夢。混濁する意識。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ダンシング・アンダー・ザ・レイン
 「こまったときにやる事は三つ。現状把握。原因の反省。今後の対策」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  

 ベッドの脇に置いてある目覚まし時計が朝を知らせた。それに手を伸ばしてアラートをとめ、目をあける。
 今日はハイスクールはお休み。バレエ学校直行の日。
「うげ!」
 毛布を掴んで跳ね起きる。目覚まし時計をみると気づけばアラートが鳴り始めてから三十分が経過していた。
「遅刻だぁあああああっ!」
 思わず叫ぶ。
 
 慌ててベッドから飛び起き、部屋を飛び出る。そこでは姉が朝食の準備をしていた。
「おはよう」
 のんびりした声で伝えてくる彼女をみて、フランカは焦りながら伝えた。
「姉さん! あたしの服は! 鞄は!」
「鞄は玄関。服はこれ」
「ありがとう! パン! パン頂戴!」
「そこにのってるよ」
 テーブルの上にある籠から黒パンを一つ掴むと口にくわえ、服を着替える。鞄をひっつかむと家の中へ叫んだ。
「いってきます!」
「いってらっしゃあい」
 間延びした姉の声をそのまま受け取り、フランカは部屋を飛び出した。
 
 ++++
 
 時間にわずかに遅れたものの、それを責める人間はスタジオにはいなかった。それどころかみんなは着替えが終わったフランカが現れるや、一気に集まってきた。
「フランカ! 大丈夫? 足が吹き飛んだって聞いたけれど……!」
「無事だったの? まだ他の人たちは病院に……」
 目をぱちくりさせると、フランカは口々に自分を心配するクラスメイトをみた。
「え、無事って?」
 クラスメイトの一人がフランカの手を握っていってくる。
「アパートよ! あなた、巻き込まれてそのあと行方不明ってきいて……ラーサが死んだ時貴方も一緒に巻き込まれたってきいて……そんでみんなで心配してたんだから!」
 そういわれるとクラスにいる人数がいつもより少ない気がする。知った顔も何人か来ていない。
「爆破事件……?」
 ああ、先日確かそんなこともあった気がする。が、フランカがそれを知ったのは先ほど姉が広げていた新聞記事を脇から少しみたからだ。それなら自分のことを心配してくれているのもわかる。
 しかし。
「足ってなに……あたしは無事。失礼ね」
「ほ、ホントだ。よかった……」
「よかったよう。みんな心配してたんだから!」
 なにやら悲壮感あふれる視線をうけばつの悪い思いをしながら抱えている荷物をスタジオの脇におろすと、教師が近寄ってきた。
 顔をあげて彼をみる。
「なにかあったんですか?」
「まあな」
 彼は神妙な表情を浮かべてささやくように言ってきた。
「あとでいいか?」
「いいですよ。ご飯おごってくれるんですか?」
 もう長い付き合いでこの教師にはこうした冗談めいたことも言える。すると彼は軽く笑いながら手を振り
「残念ながら、別件だね。練習後着替えてから校長室に着てくれ」
 とだけ言ってきた。そのときの自分は府の落ちない顔をしていただろう。
 遅刻したことに言及すらせずに彼はこちらにきびすをかえすと、フランカに心配そうな視線をむけていた他のクラスメイトに練習に戻るように促した。
 トゥシューズのひもを結び直し、自分もいつもどおり練習にはいる。
 とりあえず体に特に違和感はない。膝の軋みも、つま先の痛みもなかった。少し前までは炎症を起こしていたアキレス健もなにも感じない。
 違和感がなさすぎて、逆に不思議なくらいに。
 ジャンプしたあとアントルシャ。順調だ。いける。
 
 その順調さの裏にどこか強いられているような感覚が残った。
 それがなにかは、わからないのだけれど。
 フランカの身体のなかに時限爆弾がありそうな。そんな感じ。
 
 ++++
 
 レッスンが終わってから着替え、歩いて校長室に行くと既に着替えた教師がいた。今日は珍しくスーツである。その隣に同じくスーツ姿の校長、そしてそこに見慣れない黒いスーツをきた男が一人立っていた。フランカたち生徒は校長室等滅多に入ることはないが、そこには学校にいつも流れる雰囲気とは違う緊張した空気が漂っていた。
 その空気に気圧されるように息をのむフランカに、ぴりっとしたスーツに身を固めている校長が笑いかけてきた。昔バレエ団のプリマだった彼女は今でも
「おつかれさま。フランカ」
「先生、何でしょうか?」
 隣に立っているスーツ姿の男二人が気になる。そちらを盗みみながら教師に向き合った。元はポリジョイ劇場で踊った偉大なダンサーがこうして二人そろうと、教えてもらっている側として身が引き締まる思いになる。
 二人とも現役を退いて数十年は経過しているにもかかわらず姿勢はぴんとしていて、身のこなしはまるで若者の様だった。そんな雰囲気のせいかどこか迫力がある。
 肩身が狭い思いをしているフランカを尻目に彼が切り出してきた。
「来月『白鳥』の秋公演があるのは知ってるな」
「ええ」
 胸が高鳴る。
「黒鳥の役、やれるか?」
「マジですか! よろこんでっ!」
「ずいぶん驚くな」
 驚きに目を見張るフランカに対して彼は笑ってみせる。しかししばらく間をおくと笑いを消して目を伏せた。それがどこか悲し気にみえたのは気のせいだろうか。
 舞台というのはポリジョイ劇場で行われる秋の公演のことだ。新人のバレリーナがデビューする夏休み明けの公演で、各学校から最も優秀な生徒が役に選ばれることになっている。ここ数年はフランカが所属しているバレエ学校から主役級を選ぶことが多かった。
 生徒からすればバレエ団の団員に選ばれることは名誉なことで、さらにバレエ学校で一日を過ごして練習している生徒もいる中で、普段ハイスクールと掛け持ちしながらバレエをやっている生徒が選ばれるということはよほど稀な事だった。フランカからすれば驚くなというのは無理なものだ。
 教師の科白を継ぐように隣から校長が口をはさんできた。その顔に僅かに落ちる陰鬱な雰囲気をフランカは訝しんだ。
「フランカ、あなたも感じているでしょうけど、今回はは少し事情が違うの」
「……というと……」
 科白の後を教師が続けてきた。
「今世間で起こっているダンサー連続殺人事件は知ってるね?」
 それだけで言いたい事は伝わってきた。息をのむ。
「それは……役に選ばれたら殺されるかもしれない、ということですか?」
「そこまで単純ではないだろうけれど、主役級である以上名前が公表される。もしかしたら公開後の数日間か、ひょっとしたら数年、命を狙われるかもしれないというのが不安なんだ」
 教師が返してくる。実感がいまいちわかないが、どうも自分の身が危ないらしいということは理解できた。思わず足下に視線を落とす。
 数秒間を置いてから校長が口を開いてきた。
「フランカ、まずあなたに誤解をしないでほしいのが、学校から送り出すプリマは常にトップの人間を選出することになってるわ。今回あなたが選ばれたのは身代わりのためでもなんでもなく、今度デビューする子の中では本当にあなたが優秀だからということ。それはわかってね。次に中止にする予定もないし、うちに権利もない。誰かに出てもらうことは必ず必要なの」
 つづけて教師が言ってくる。
「最近、君の身体能力の向上は著しい。もともと技術力や表現力はあったし、努力の成果だというのは僕らも分かってるから安心してくれ」
「はい」
 うつむいたまま声を絞り出すようにして返す。相手の気に障るかもしれなかった。が、それを気にする余裕はフランカにはない。
 それを慮ってか知れないが、校長はそのまま続けてきた。
「こちらとしては名前が公表されるバレリーナ、つまりあなたの安全を最優先することになるのよ。撤退するわけにも辞めてちょうだいともいえないしね。そこでこれから一ヶ月、専属のガードをつけることになるわ」
「ガード?」
「そう、ボディガード。警察も解決にむけて協力することで、貴方の身を全力で守ってくれるの」
「えっと……ひと、ですよね?」
「ああ。そうだ」
 苦笑しながら教師がそういう。そちらを見ながらフランカは喉を鳴らした
「あたしは……やりたいです。でも、いまかなり怖いんですが……」
「わかってるわ。だからプロに守ってもらうのよ」
 そこで校長はとなりにいたスーツ姿の男に目をやった。彼がそれに頷くとフランカの方を見て会釈してくる。
「はじめまして。スクーレンスカヤさん。私はFSBで今回の事件を担当することになったエドアルド・バーシニコフといいます。うちの担当官が一人、期間中護衛に着かせていただきます」
「はあ……どうも」
 どうしたらよいか分からないといった顔をしていただろう。ぼんやりと彼を見上げると、その男は愛想のよい笑みを浮かべてきた。黒髪黒目で、また黒斑眼鏡をかけている。いかにも真面目そうな風貌だ。
「ここに契約書があります。学校、ご親族のサインはいただいておりますので、あとはご本人様のサインのみとなります」
「あれ、でも二十四時間つくということは……」
 思わず呟く。フォローするように校長が隣から口をはさんできた。
「仕方なかったのよ。どのみち」
 そこまで言って口をつぐむ。言って良い物かどうか迷う様に視線をそらす。
 バーシニコフがそちらを見て、手を振った。するとフランカの後ろでノブが回る音がしてドアが開く。
 振り向くと、黒いベレー帽に黒コートを着たブロンドの少女が立っていた。
「あ」
 あごが外れたように口を開く。相手はにこりと笑うとかるく会釈してきた。
「こんにちは。はじめまして」
 ぽかんとしているこちらを尻目に、横からバーシニコフが紹介してきた。
「今回ボディガードを勤めさせていただきます。アレシェンカ・クロコウズスカヤです」
「……」
 言葉がうまくでてこない。なんと反応していいものか迷っている間に、バーシニコフの説明は続く。彼はてきぱきと書類をテーブルの上に準備すると、懐からペンを取り出して一緒に置いた。
「彼女が護衛になります。クロコウズスカヤ巡査は若いですが、優秀です。年齢もスクーレンスカヤさんと非常に近いので男性の担当官がつくより、普段の生活に支障はでにくいのではないかと考えてます。規約はこちらになりますので、一通り目を通して、問題ければサインをお願いしてもよろしいですか?」
「あ、は、はい。えっと、校長、ひとつきいて良いですか?」
「なにかしら?」
「これって、ボディガードを断って、舞台に立つという選択肢は……」
 あたふたしながらそう伝えるフランカに向かって校長はかるく笑ってきた。
「怖いのにそれを考える? それはないわ。安全最優先」
 小さく息をついた。そうだよね、そりゃそっか。
 と、フランカは自分の中で頷くと後ろに立つその少女を見やった。顔も声も以前聞いたもので、その瞬間フランカの中に様々な記憶が戻ってくる。そろえた前髪に黒い左手。奇妙なマークの入ったベレー帽も全て以前見覚えがある。
 周囲がわざと言及しないでいるのか、それともあえてなにも言っていないのかはわからないが、あとで問いつめることに心に決める。
 息をつくと、フランカは否応無しにペンを取った。
(なんとかなるわよね)
 あの憧れの舞台で踊るためなのだから。その僅かな期間の間だけなのだから。




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