Episode 5 : systema
アレシェンカとダニーがフランカの家で食事をとっていた時刻。
FSBのビルのとある一室で、ニコライは目の前に座っている男を睨みつけながら机を思い切り叩いた。
「どういうことなんですか!」
「みた通りだよ」
怒りを抑えずにぶつけるニコライに対してその男ーーK8の局長ムサエフはまるでサッカーゲームの結果を言うように何にともなく伝えてきた。普段通りの彼の動作に苛立ちをつのらせながらニコライは続ける。
「……なんであれが爆発したんですか」
「あれが本物のTNTだっただけだ。それを設置したから爆発したんだろう」
「実際に死人がでてます。それにチェチェン人ならともかく傷ついたのは一般のロシア国民で、モスクワ市民です。それを行う手伝いをうちの課員にやらせたんですよ!」
「誰がやろうと変わらないよ」
「それは違う……で、結局チェチェンの仕業だと発表するんですか?」
「はじめはその予定だったが事情が変わるかもしれん」
こちらの問いにムサエフは特徴的な青い瞳をニコライに向けてきた。
「ついさっきだが、中国のエージェントが数人、市内に入り込んでるという情報が入った」
「はあ?」
「連中の仕業であると発表することになるらしい」
後ろにすこし後ずさると、ニコライはそこにあったソファに腰掛けた。そして息をつく。なんでも有効な現状を憂いながら灰色の天井を見上げた。
「世論の矛先がうちにこなければなんでもいいんですか。中国当局との関係が壊れますよ……あそこ敵にまわすといろいろやり辛いのに」
「口を慎めよニコライ。そういうことじゃない。中国を敵に回すのではない。問題をはき違えるな」
彼はそういうと小さく息をついてきた。そしてデスクの引き出しを開けて書類をいくつかとりだしてくる。
「問題はそれに混じって中国の製薬会社が部隊を送り込んできているってことだ」
「製薬……スーハイハンですか」
「よくわかったな」
ムサエフは感心したように鼻を鳴らす。手元の書類をめくりながら小さく嘆息してきた。
それを横目で見ながらニコライは煙草に火をつける。
「うちらと関わり合いがある中国の製薬会社ってあそこだけですし」
その問いに頷いてくると彼は書類を机の上に置いた。
「今回の件を口実に連中を国内から追い出すのが目的だ。まあ実際は利権をうちらだけで独占するとかのもあるんだろうが、そこらはとりあえず置いとけ。俺たちはスーハイハンとそれに癒着してる連中を追い出さなければならない」
「スーハイハンと組んで仕事してるのは確か……あれですよ。生物科学研究所の連中」
「そうだな」
「こないだ連中から依頼された仕事やったばっかりですよ」
「だからお前のところに連絡したんだ。関係あるかもしれん」
「……てことは連続殺人とも?」
「ああ」
ムサエフはそう頷くと葉巻を手に取った。それをくわえて火をつける。彼を見ながらニコライはあからさまに顔をしかめてみせた。
「……てことはまた組むんですね」
「嫌か?」
「ええ嫌ですね。K8と組んで良い思いをした事がないんで」
「酷いな」
そういって苦笑いをするとムサエフは煙を吐いた。
ダンシング・アンダー・ザ・レイン
005
電話の音がなる。
『ストイチコフだ』
『着いたか?』
たどたどしいロシア語。
『ああ。そっちは?』
『定位置にいる』
『今から証拠を配置する。手順通りで問題ないんだな?』
『手順通りならな。FSBの発表は六時間後、午前八時だ。それまでに終わらせろ』
『そっちこそ時間通りに女を連れてこい。でなきゃ俺たちお先真っ暗だぜ』
『了解。うまくやるよ』
『女はいるのか?』
『間違いないさ。そっちこそしくじんなよ』
その会話を最後に懐に入っている機械のスイッチを切る。アレシェンカは舌打ちすると数メートル先に停車している車に目をやった。
手を左目の眼球にあてる。その瞬間片方の目の視界がサーモグラフィに変化し、周囲の温度を色彩で示してくる。
歩を進める。
三人の男が車から出てきて、それぞれ黒いスーツケースを持っている。あの中に彼らのいう"証拠"がはいっているのだろう。
さらに彼らに近づくと目を細める。サーモグラフィから暗視に視界を切り替え、彼らの顔を補足する。東洋人の顔、流れからして中国人に間違いないだろう。
三人のうちひとりが瓦礫の建物に近づき、鞄を地面に置いた。合図を後ろの二人に送るタイミングでアレシェンカは静かに移動した。
振り返った一人がこちらの姿を見てぎょっとするように目を見開いた。それをあおるようにアレシェンカは笑みを浮かべて、
「ニーハオ」
中国語で挨拶した。もっとも彼らは彼らなりの発音があるのだろうが、アレシェンカが知っている中国語はこれだけなのでなんとも言えない。
後ろにいた二人がこちらを振り返る。驚いた表情がすぐに殺伐としたものに変わり、殺気立った空気があたりに張りつめる。二人が後ろ越しに手をやると同時に一番違い場所にいた一人がアレシェンカに詰め寄ってきた。
「誰だお前」
やや訛りのあるロシア語。その科白が終わるか終わらないかのうちに相手の右拳が握られ、こちらとの間合いがつめられる。闘い慣れている武道家の動きだった。
(カンフーかな)
アレシェンカからみて左斜めからまっすぐ放たれた拳をすこし後ずさるだけの動きで躱す。続けて放たれた左手の肘での打撃を左手を伸ばして受け止めるとそのまま受け流すように左半身から男の間合いに踏み込んだ。そして空いている右手を相手の腹にあてる。
空気が爆発するような音とともに相手が吹っ飛ぶ。そのまま空中で回転しながらうしろの瓦礫に突っ込んでいき、そのままうずくまってしまう。
人体急所の肝臓を貫くように突いた渾身の一撃だ。しばらく動けないだろう。
それをみて中国人の一人が呟くように言う。
「お前、スペツナズか?」
その言葉に思わず目を細める。調査済みなのかそれとも相手がベテランなのか。アレシェンカは質問には答えずに右手を太ももに巻き付けてあるナイフケースにやり、一本ナイフを取り出した。
彼らが地面においたスーツケースに目をやりながらアレシェンカは左手もナイフを取り出し、両手にそれぞれ一本ずつ握った。
数メートル先のスーツケースには小さなFSBのマークが見えた。
「ひとつ……答えてほしいんだけどな」
こちらの言葉に二人が目配せする。そのあとのアクションには構わずに続けた。
「君たち……FSB? 中国当局?」
「なんでもいい。失せろ」
片方がカタコトのロシア語でそういうと、こちらの質問を無視して二人が同時に飛びかかってくる。
小さく息をつくとアレシェンカは右からきた拳を身体を低くして躱し、左側から飛びかかってきた男が突き上げてきた拳をナイフの柄で受け止めた。
そのまま上半身を下にさげ、足を後ろから振り上げて前屈みになっていた相手の顔を蹴りつける。続けて右手を握ってナイフを握ったままその下顎を打ち付ける。
相手が後ずさったのを尻目にもう一人の武器を持った手を斬りつける。暗闇の中で鮮血が弾けて相手がよろめく。そこに続けてアレシェンカは鼻の下を思い切り殴りつけた。後ろに倒れるのを見送る間もなくスーツケースに走りよる。
それを開く。目に入ってきたものをみて小さく呟く。
「中国警察」
そこには予想できない中国警察のものが入っていた。ロゴの入った拳銃、制服の切れ端、曲がった弾丸といった物の隅に起爆装置。他のスーツケースも恐らく類似品が入っているのだろう。
手の届くところにあったスーツケースを手に取って開くとやはり同じような物だった。中国警察にロシア国内で起きたテロの罪を着せるつもりで中国人の部隊が作業している。しかしFSBに中国人がいる事は聞いた事もない。
どういうことだろうか。
頭の中で回る不可思議な情報と状況に半ば混乱しながらスーツケースを閉じると、それらを手早く回収する。事がどういった収束されるのかがわからないためとりあえずニコライに尋ねてみる必要がある。
アレシェンカがそれらを持って立ち上がろうとしたときだった。
「畜生、ふざけやがって」
鼻から血を滴らせながら一人が起き上がった。さすがに騒ぎを大きくするつもりはないようでその声はこちらがようやく聞き取れる程度だ。そこに彼の瑣末なプロ意識を感じながら、アレシェンカは後ろを振り返った。
「……まだ意識あったんだね」
そこで眼前に突きつけられたのはサイレンサーが取り付けられた拳銃。その銃口がこちらを向く。
だが、響いたのはサイレンサーの緩い音ではなく鈍い打撃音だった。と同時に男が気を失って卒倒する。
「減点1」
それを訝しがる間もなくアレシェンカの頭上から面白がるような声がかけられる。そちらをみやると瓦礫の上にダニーが座り込んでいた。
「……なにやってんの」
「女の子の一人歩きは危険かなって。気遣ってやったんだぜ」
迷惑そうにするこちらとは反対に、ダニーはなんのこともないように元アパートだった瓦礫の山から飛び降りてきた。あたりを見回したあと、地面に転がっているスーツケースに目をとめる。
「ふむ」
「ダニー……あんた罪着せられるかもよ」
「それさっき聞いてた。んなこったろうかと思ってたんだ」
彼はそういって黒い革手袋をはめると、中身を確認せずに横になっていたスーツケースを持ち上げた。大して重くもないようで三つとも抱え上げてみせる。
「大使館に持ってくよ。FSB経由しないとまずい?」
その問いにしばらく間を置いてからアレシェンカは答えた。
「直接持ってったほうがいいと思う。うちのひと中身差し替えたりするから」
「了解。で、これからどーすんだ?」
スーツケースを両手に抱えながらダニーが尋ねてくる。コートについた埃を払いながらアレシェンカは立ち上がった。
「フランカの仮のアドレスに行く。連中を捕まえる」
「俺は?」
「手伝ってくれると……とても助かる」
短くつたえるとスーツケースを一つ手に取る。
「むしろ手伝ってくれないとこれあげない」
「証拠だぜそれ」
「うん」
「……強制ってことかよ。ひでえな」
大して酷いと思っているわけでもなさそうにそういうとダニーは小さく笑ってきた。それに返事せずに軽くあごをひいてみせると、彼は呆れたように肩をすくめて歩き出した。
その背中を追いながら声をかける。深夜なのでなるべく小声で。
「ちょっと、どこいくの」
「車。俺車で来てんだよ」
「あれ……あたし壊したヤツ?」
「あんなんでモスクワ走れるかよ。ありゃ廃車だ。乗ってきたのは俺の私物」
やや苛立ちがこもっているような口調でそういうと、彼は早足で歩き出した。先行していくその背中を見ながらアレシェンカは小さく嘆息して頬をかいた。
「……やれやれ」
二人が瓦礫の山がある事件現場からしばらく歩くと、やや離れたところにあるスーパーマーケットの駐車場に一台のスポーツカーが泊めてあった。深夜とだけあって広大な駐車場にはその一台しか車の影はない。
遠くからみても分かる程特徴的なその形に、アレシェンカは思わず眉をひそめた。
「……なにあれ」
「RXなんとか」
「なんだか分からないけど高そう。中国の警察ってそんなもうかるの?」
「んなわけないだろ。友達から格安でゆずってもらったんだ」
「ああ、中国製……パチモノで有名な」
「ちがうっつーに。日本製だよ」
ダニーと歩きながらそんな話をしていると車の影が見えてくる。よくみないとわからない色は濃い青だった。趣味が良いのか悪いのかはわからないが、色が目立つため秘密警察が乗るには不向きな車種ことは間違いない。
歩くにつれて近づいてくる車の中を左目でみてアレシェンカは目を細めた。温度感知が有効になったままだったので車の中に別な人間の温度を察知したのだ。
「誰かいる」
「は?」
隣で警戒を解いていたらしいダニーがその言葉に反応した。一瞬だけそちらをみてからアレシェンカは空いた手に拳銃を取り出した。
「誰か乗せてきた?」
「いや、俺ひとり」
「そう。あの相棒は?」
「あいつはフランカの家を守らせてるよ」
まあ適切な判断だろうな、と口にださずにその答えに小さく安堵する。同時にダニーをつけてきた誰かがいたということに不安を覚える。
彼の行動先を知っている人間。
アレシェンカは拳銃を取り出すとその車に近づいていった。そのこちらを見てダニーが不思議そうに尋ねてくる。
「お前拳銃なんて使うのか?」
「脅す時だけだね」
足音を消す。静かに車に近づいていく。
隣まできて、二人は動きを止めた。
そっと座席の中を覗き込む。
そして後部座席に目をやった瞬間、そこにかがむように膝を抱えて座っている人物をみて二人は唖然とした。
こちらに気づくとその人物満面の笑顔を浮かべ、手をあげて挨拶してきた。
「ヤッホー」
フランカだ。
返す言葉も無く。
二人はたっぷりその場で数十秒、停止した。