Episode 6 : In Dead Place




 夜のモスクワの街を一台の車が走っていく。
 青のスポーツカーだった。今は気温が酷く低いため屋根は閉じている。
 運転しているのがダニー、助手席にアレシェンカ、後部座席にフランカが座った。社内は以外と広い。
 運転しながらダニーが呆れたように言ってきた。
「なんで来てんだよ。狙われてんのわかってんだろ」
「アレシェンカが怒ってでてっちゃったのかと思って」
 先程の強気の声とは正反対な内容に、思わずアレシェンカはそちらをみて首を傾げる。こちらが言葉を発する前にダニーが口をはさんできた。
「ずいぶん乙女だな。あんなに強気だったヤツがいう科白かよ」
「あたし乙女だもん」
 そちらを見ながら尋ねる。
「え……なんで?」
「えっと。だってあたしすっごい怒っちゃったからさ。わるかったなーって」
「そんな……子供の喧嘩じゃないんだから」
 どこかこちらの機嫌をとるような彼女の言葉に思わず笑みがこぼれる。今の事態をわかっていても頬が緩んでしまう。
 なんなのだろう。これは。
「とにかく気にしないで、大丈夫」
「よかった」
 アレシェンカのその科白にフランカの安堵した声が社内に響く。横でダニーが嘆息するのが聞こえたがあえてそれには触れず、前方に再び視線をやった。今はこの事態に集中しなければ。
 いつも以上に暗く感じる夜のモスクワに車のライトが光っている。
 その感覚は街が闇に溶けているような。
 




 ダンシング・アンダー・ザ・レイン
 006
 



 その場所につくとアレシェンカは車を降りてアパートを見上げた。周囲に人がいるかどうかを警戒しながらドアをしめる。
「おい」
「ねえ」
「まってて」
 声をかけてきたダニーとフランカに短くそれだけを伝えると、アレシェンカは左目の眼球に手をあてた。周囲の情報が一瞬にして頭の中に入ってくる。と同時にサーモグラフィの色彩が視界に入ってきた。
 車の傍を離れて建物にむかって歩いていく。夜なのでなるべく足音は立てずにそっとアパートの中に身体を入れる。
 一階分階段を上がって廊下を間借りその部屋の扉の前に立つ。そして扉のノブを見やったところで動きを止めた。やはり、というべきかドアの鍵が壊されていた。
 それは予想できることではあった。が、今更なにができるわけでもない。そのまま銃をとりだして扉を押した。その先に広がっている風景もアレシェンカには用意に想像できた。それが凄惨な光景であれ、いつも通りは普通の光景であれ驚かないはずだった。
 ドアを開く。
 倒れた同僚たちの血の跡と遺体が残されていた。玄関先に一人、扉が開け放たれたままのリビングに一人。その奥にもう一部屋あるはずだからそこにもう一人いるかどうかだろう。三人が常駐している部屋は惨劇と化していた。
 遅かったか。
 奥に歩いていく。リビングにある遺体が目に入った。K13の同僚だった。さらにそのとなりには午前中に話した同僚の姿があった。
「エドゥ」
 思わず名前を呟く。血まみれでテーブルの脇に横たわる彼はまだ意識があるようだった。うっすらと瞼を押し上げるとこちらを見上げてくる。
 その口が小さく動く。
「くるな」
 動きを止める。
「え?」
「くるんじゃない。そこに爆弾が」
 視線だけでそちらを見やる。息を吸って耳をすます。
 かち、かち、とカウントされる音が耳朶を打つ。
「あと何秒?」
 だがアレシェンカは彼に近づきその身体を抱き上げようとした。エドゥが必死に首をふって遠ざけようとする。
「知るか。とっとと逃げろ!」
「エドゥも」
 だがアレシェンカは彼に近づきその身体を抱き上げる。
「馬鹿野郎! 死ぬぞ!」
 その瞬間そこにあった握りこぶし大の空き缶のようなものが空中に浮かぶ。
 それを見たアレシェンカの中に一つの結論。
(対人地雷?)
「だから」
 彼がなにかをいいかけるが後の方は聞こえてない。
 そしてその視線を巡らせると、別な遺体の下敷きになっている爆弾が見えた。
 それは残りカウント三秒を指している。
 逃げなきゃ。
 次の瞬間アレシェンカは視界の端にみえたベランダを目掛けて床を蹴った。
 そしてそのタイミングとほぼ同時に後ろで対人地雷が爆発する。
 エドゥの身体を自分の身体の内側でかばう。
 胸元で彼が叫んでいるがそれどころではない。
 頭と背中に刃が突き刺さる。
 首筋の神経に刺さらないことを祈りながら右手で拳銃を抜き放つ。
 刹那。
 アレシェンカは引き金を弾いてそのガラスを撃ち破るとそのまま穴をくぐった。
 そこで三秒。
 背中で大きな爆発。火炎があがった。
「うわ!」
 エドゥを胸に抱えたままアレシェンカはアパートの空中に放り投げられる。彼がなにかを叫んでいるが爆音でかきけされ、続けて起きた衝撃波がアパートの壁を吹き飛ばす。ガラスの破片が周囲に散り、炎が建物全体を飲み込んでいく。あたりを揺さぶったその爆発。
 空中で身体が回転するのを感じたが、どうすることができるわけでもない。せめてダニーの車の上に落ちなければいいと思う。二階から放り出されたにもかかわらず地面に着くまでの時間がずいぶんと長い気がした。
 背中から落ち、地面をバウンドする。その瞬間にエドゥと離れてしまう。
 空いた手で思わず後頭部を抑える。痛みで朦朧とする意識をはっきりさせようとするがうまくいかない。それに周囲に誰か潜伏しているかもしれないのだ。
「アレシェンカ! 大丈夫か!」
 誰かが駆け寄ってくる。
 幸か不幸かわからないがアパートを包む炎の赤い明かりで相手の顔がよく見えた。
 ダニー。
「しっかりしろ!」
 着地した場所は彼の車の上ではないらしい。こちらの心配している場合なのだろうか。
 朦朧とする意識の中に彼の顔を捉える。頭を打ち付けた。
「私は平気。丈夫だから」
「そういう問題じゃねえよ!」
「それよりエドゥは」
 彼の助けを借りながらなんとか身体を起こす。正面に視線をやってアレシェンカは顔を歪めた。動けるダニーに先にエドゥを見てもらう。
 倒れている彼の首筋にダニーが手をあてると、
「死んではいない」
 とだけ言ってきた。死んではいない、か。
「脈あるの?」
「うん。ただ背中の傷はやばいな。病院か……」
 気を失ったエドゥを抱えながら彼が立ち上がる。アレシェンカは頭をふると小さく伝えた。
「駄目」
「だよな。どこにいけばいい?」
 しばらく考えた。ここが爆破されてしまったのではやむをえないことでもある。
「分署にいこう。そこだったら安全だから」
「ホントか?」
「うちの課に裏切り者がいなければね」
 ダニーが手を出してきたがアレシェンカはそれを拒み、なんとか自力で立ち上がった、ここで気を失ってしまえばまた記憶ごと吹き飛んでしまうに違いない。いまここでそうなるわけにはいかない。
 歯ぎしりして身体を動かし、歩いていく。
 まだ何一つ解決してはいないのだ。
 
 
 
 ダニーの車が後部座席もあって良かったと思った。暗い中消防車が行き交う市内をスピードをあげての運転は、途中かなりスリリングな思いをさせられた。
 ただそれ以上に助かったのはフランカがエドゥの応急処置をしてくれたことだった。
「フランカ、それ大丈夫?」
「バレエやってると怪我が日常茶飯事になるの」
 後部座席で横になったエドゥの身体に、ダニーの車にあった応急処置セットの消毒薬を塗りこみ包帯を手早く巻いていく等の作業を行いながら彼女はそう言った。守るだけではないのが幸いといったところだろうか。
「バレエの怪我とそいつの怪我は違うだろうに」
 運転しながらダニーが呟く。それにはアレシェンカも同感だった。
「やってくれているんだから文句はいえないよ。あ、ダニー、そこを右」
 しばらく走った先の角を曲がる。先程の爆発の時に起こった炎は遥か後方に見えなくなっていた。
「ずいぶん奥まったところにあるんだな。分室ってのは」
「一応秘密警察だからね」
 アレシェンカはそれだけを伝えるとサイドミラーに視線をやった。そしてすこし息を吐くと街頭でわずかに照らされただけの路地裏を指差した。
「ダニー、その建物の間にとめて」
「ん? ああ。せまいな」
「来客専用」
 こちらの指示に不満をいうわけでもなく、ダニーは車を灰色の壁に挟まれた路地裏に停車する。狭いところに入り込むのも特に苦手という訳でもないようだった。
 車のエンジンがきられた瞬間、アレシェンカは車のドアを勢い良く開けて外に飛び出した。
 その突然の動きにダニーが声を挙げてくる。
「おい!」
「ここにいて! 二人をよろしく!」
 そして一気に路地の入り口目掛けて突っ走る。途中転がっていた自分の背丈ほどもある鉄パイプを左手で掴むと、丁度眼前に停車した黒い車目掛けて振り下ろした。
 鉄と鉄がぶつかる耳障りな音とエンジンがへこむ轟音が重なり合った。その衝撃で黒い車の窓ガラスに大きく皹がはいる。
 さらに鉄パイプを振りかぶると運転席めがけて突き刺す。その一撃で窓ガラスが粉々に割れた。続けて左手をドアに伸ばし無理矢理引き剥がすようにこじ開けた。
 中にいた人間がこちらに拳銃を向けてくる。弾丸が放たれようとした瞬間アレシェンカは左手を突っ込んでその拳銃を握りつぶした。
 相手の目が驚きに見開かれる。続けて右手で相手の胸ぐらを掴んで引きずり出すと地面に叩き付け、さらにその上にのしかかった。
「さっきから尾けてたみたいだけど、あんた何者?」
 左手で相手の頭を掴む。拳銃を握りつぶされたのをみた彼はこちらが彼の喉をすぐ潰せることを分かっているはずだ。
「す、ストイチコフさんの命令で……」
 だがアレシェンカはなにも話させないうちに左手から電気を発生させた。それで彼が息をつまらせる。
「ストイチコフ? 何処の人?」
「……K8」
 あいつか。
 一緒に仕事している部署の顔を思い浮かべながら小さく息をつく。
「手帳だして。他に指令は受けてないの?」
 
 
 と。
 小さな銃声。
「アレシェンカ、減点」
 頭上の窓から聞き慣れた女性の声。その直後自分の背後で人が倒れるのが聞こえた。
「背中に注意しなくちゃ!」
「うるさいなあ」
 そちらを見てアレシェンカは顔をしかめた。
 窓からスナイパーライフルを背負った白衣の女性が窓際に肘をついていた。
 エレナ。
「あがってきなさい。話を聞くわよ」
 人懐っこい笑みを浮かべると彼女は手招きした。これで一安心か。

 ++++
 
 夜中のオフィスは静まり返っていた。
 すぐ隣が観光名所の大通りであることもあり、普段はそちらから雑然とした人々の声が聞こえてくるこの場所だが、今は違う場所のような静けさがあたりを包んでいる。
 事務所のオフィス部分にダニーとフランカを入れるわけにいかないので二人はとりあえず応接間にはいってもらい、アレシェンカはエレナとともに気を失っているエドゥを医務室に運び込んだ。彼の状態を見た瞬間エレナの顔が強ばったのを目に入ったがそれは見なかったことにしておく。
 急ぎ足でエレナが医務室に消えていくのを見送ったあと、アレシェンカはオフィスにあるソファに座り込んだ。その瞬間どっとでてきた疲労に襲われて軽く目眩を感じる。体重を背もたれに預けながら大きく息をついた。
 とにかく問題は、今やることが多すぎることだった。ダニーに出会ったのが幸か不幸か分からないが、彼と会わなければオーバーワークになるところだ。超人的と言ってもそれはあくまで身体の話で、それをこなせる頭脳が無ければ効率的に使えるわけもない。ただ自分なりにこなしていくだけしかできないのに。
 しばしの休憩とばかりに天井に視線を向けてぼんやりとしていると、不意に医務室の扉が開きエドゥの処置を終えたエレナがオフィスに入ってきた。
 頭を抱えているこちらを見てくると彼女は心配そうに尋ねてきた。
「痛む?」
 救急箱をもってこちらの隣にやってくるとエレナはソファに座ってきた。アレシェンカは仕草で問題ないことを告げると小さく息をつく。
 そんなこちらの表情をみてとったのか、彼女は消毒薬を取り出しながら続けてきた。
「今頃広報部はどたばたしてるわよ。発表の矢先だったから」
「そうだね」
 とりあえず頷いておく。これからのことを考えると後頭部が疼いた。闘うだけでよいのならどんなに楽なことか。
 こともなげに呟く。
「これからもっと面倒臭い事になりそう」
「なんでそう思う?」
 こちらの投げやりな科白にエレナはどこか試すような口調で尋ねてきた。それと同時にこちらの前髪をあげて大きく晴れ上がったアレシェンカの額に消毒薬をあててくる。
 しみる痛みに耐えながら小さく呟くように続けた。
「捕まえられてない……し、黒幕が大きそうな気がする」
「たしかにね」
 手早くアレシェンカの傷を処置しながらエレナが頷いてきた。身を乗り出した彼女の赤毛がこちらの鼻先をくすぐっていく。
 どこか胸が締め付けられるような気持ちになりながらアレシェンカは黙って少し身を引いた。それに気付いた彼女が怪訝そうに尋ねてくる。
「なによ」
「髪……むすんで」
「ああ、ごめんごめん」
 こちらの言葉に気付かされたように手をとめるとエレナは長い髪を手早く結んだ。それから再びこちらの傷に手をつけてきた。
 
 ++++
 
 部屋に押し込められてから数分。
 
 ソファに座り込んだ二人の周りでは壁にかけられた時計が時を刻む音だけが響いている。フランカがうつむいていると、眼前に座っているダニーが突然声をかけてきた。
「変だとおもわねーの?」
 その科白に顔をあげる。
「なにが?」
「お前のその片足、義足なんだろ。なんでそんな普通に歩けるんだよ? 義足って結構使えるようになるまで時間かかるんだぜ。おまけに重傷だったのがこんな簡単に治ってよ。いくら金もらってるからってあいつらがやってること非常識だぜ」
 表情を変えないまま淡々と彼は言ってきた。確かに一理あることだったが今自分になにができるわけでもない。
 しかしあまりに場の空気とこちらの心情を無視したその発言にフランカの中に苛立ちが生まれる。とりあえず仕返しとばかりに何も言わず黙ってその顔を見返してやると、ダニーはこちらから気まずそうに視線をはずしてさらに続けてきた。
 そしてその科白もこちらの神経を逆撫でするものだった。
「案外、お前のねーちゃんも別人かもな」
 その言葉に目を細める。
「は?」
 眉をしかめる。フランカは自分の中に怒りが湧いてくるのを感じた。
 そんなこちらに気付いているのかいないのか、彼は続けた。
「だから。記憶が入れ替えられてるっていってたろ。影武者だけ用意しといて、お前のねーちゃんはまだ病院にいるんじゃないかっていう。死んでるか生きてるかはわかんないけど、建物一軒崩れるくらいのテロにあって無事でいるわけがないと思うけどな」
「なにそれ」
 机の下で拳を握りしめる。掌に爪が食い込むが構っていられない。フランカの奥歯が音を立てた。こちらの小さな震えに彼は気付いていない。
「つまりFSBの連中、これ全部仕組んでんじゃないかって俺はおもうのさ。まああいつらの事務所にいてこんなこというのもなんだけど。多分まだ被害者は増えるぜ。なにが目的でこんな事しているのかはわかんねーけど」
「全部って?」
 すでにフランカの声は半分裏返っていた。身体の筋肉を硬直させながらゆっくりと尋ねると、彼もまたゆっくりと答えてきた。
「バレエダンサーの殺しと、アパートの爆破テロ」
「その面殴って良い?」
 そういった時にはすでにフランカは腕をあげていた。ダニーはうつむいていたためこちらの動きや反応をみることはできない。恐らくそういった訓練を多少うけている筈だからまともにやればこちらの平手打ちくらい彼なら余裕で避けることができただろう。
 だが、今回それはまともに彼の頬に入った。
 思い切り顔を叩かれたダニーの身体が揺れた。
「もう知るか! あんたたちなんか勝手にやってれば!」
 そう言い放つと扉を半分蹴り開けるようにして、フランカは上着を引っかけ、そのまま建物を飛び出した。

 
 ++++
 
 
 こちらの傷の手当てがようやく一段落ついてきた時、エレナが顔をあげた。
「ねえ、君、ここは関係者以外立ち入り禁止よ」
 二人しかいない空間にも関わらず、唐突に自分以外の誰かに言葉をなげた彼女を訝しく思って見上げると、その視線の先には応接間から出てきたダニーの姿があった。
「ごめん。ちょっといいすか?」
「なに?」
 アレシェンカの代わりにエレナが尋ねる。こちらの頭は彼女が押さえ込んでいるので視線だけでそちらを見る。ダニーは酷く深刻な面持ちでこちらを見てくると、
「ちょっと困った話を聞いてくれ」
「……なによ?」
 あからさまにエレナが眉をしかめる。が、アレシェンカはその下で彼がこれから言い出そうとしている科白がとてつもなく非常事態だということに気がついた。
「フランカが出てっちまったんだ」
 その科白に、エレナとアレシェンカは大きく嘆息した。
 あと少女の扱いはどうしたらよいものなのだろうか。

 きっと誰も答えを教えてなんてくれないんだろう。



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