夜もすこしをあけたころ、戸口で声がした。
 倉田千鶴子はコタツのなかにもぐりこみながら、向かいで餅を焼いていた京介に言った。
「あたしは留守だ」
「はいはい」
 適当に返事をして立ち上がる。縁側を歩くにはすこし寒い季節だ。
 冷気が足に直接伝わるのを感じながら、京介は玄関口へと歩いていった。

 そこには一人の男が立っていた。歳のころは二十歳前後といったところか。いくぶんか自分より若い。
「連絡していた藤崎ですけど、倉田さんはいらっしゃいますか?」
「あ.........千鶴子はいまちょっと外にでてまして」
 顎に手をあてて外を見やる。雪が降り始めていた。
「火急のご用件ですか?」
「いえ、そうではありません。いつごろならいらっしゃいますか?」
 若いわりには礼儀正しい男だ。京介は内心感心しながら答えた。
「うーん.........明日の昼ぐらいなら大丈夫だと思いますけど」
「ああ、わけあって私は夜しか来れないのですよ」
「はあ」
 その歳で何の仕事をしているものか気になったが、相手はこちらが再び口を開く前に、
「では、また明日の同じ時刻にお伺いします。倉田さんにはよろしくつたえておいてください」
 さらりと言い残し、去っていってしまった。

 わけがわからぬまま居間にもどると千鶴子が先ほどまで京介が焼いていた餅をほおばっていた。
「誰だ」
「餅を食うな」
「あ?」
「それは俺が焼いた」
「ひとつくらいいいじゃん」
「駄目」
「ケチ」
 ぼてん、と再びコタツにもぐりこむ彼女を尻目に、京介はため息をついた。
「若い男だよ」
「ほう、髪は茶色かったか?」
「いや、黒かった」
「じゃあ知らんな。あたしが最近ひっかけたのは茶色いヤツだった」
「へー」
「ひょっとしたら唐色だったかもしれない」
「いい加減だなオマエ」
「名前聞いたんだけどわすれてもた」
「最低だな」
「女心なぞそんなものぞ。んで、そいつはなんだって?」
 コタツにうつぶせにはいりながらこちらをみてくる。たいしたことでもないのだろう。
「いや、お前に用事あるみたいだった」
「急ぎか?」
「いや、明日くるってよ」
「ふうん、じゃあ明日でいいや」
 いいかげんめ、と口の中でつぶやき、京介は自分が焼いていた餅に橋をつけようとした。
 そこにあるものを一瞥してから、険悪な口調でうなった。
「吐いたもん皿におくんじゃねえ」
「はっはっは」


 翌日は晴れていた。すっきり晴れた一日だった。
「なかなかいい天気だったな」
「そうだなー」
 手元の本に目を落としながら千鶴子が適当な口調で返してくる。
「晴れてても一日中うちにいるからねえ」
「そうかい」
 戸締りをしながら京介はつぶやいた。
「そろそろ例の御仁が来る時間だが」
「そうかー。居留守使おうかなー」
「でてあげろよ。用事あるんだから」
 相変わらずやる気のない彼女に対して呆れたように言う。
 どちらにしてもどうということはなさそうだ。

 こんこん。
「来たみたいだ」
「わかったよ。行けばいいんだろ」
 もぞもぞとコタツから抜け出すと、彼女はけだるそうな表情を浮かべながら戸口にむかって歩いていった。その後ろを京介も着いていく。
 足元を猫が走りぬけようとしていったので抱き上げる。特に意味もなく。
「倉田さんですね?」
「そうだけど」
 昨日の男の声だ。だが千鶴子を目にしたとたん声のトーンが落ちたように思えた。
 次の瞬間響く甲高い音。

 悲鳴ではなかった。鉄と鉄が擦りあげられるような金切り音。
「手伝おうか?」
 京介は戸口で刀を交えている千鶴子にむけて行った。だが彼女は振り向こうともせず、
「いいよ。ひとりで」
 と答えた。

「なめられたものですね。僕もこれで大人になったんですよ」
「まあ、子供のときよりは強くなったね」
 彼女は静かに答える。目の前に突き出された刀を横から眺めるように目を細めた。
「だけどまだ甘いね」
 次の瞬間千鶴子が着物の下から抜き放った長刀が男の顔に一閃を入れていた。左から右に切り上げるような居合い斬りだ。だがそれも鋼のぶつかり合う音がひびく。衝撃を和らげるように男と千鶴子は戸を破り、玄関外でにらみ合っていた。
 男は千鶴子に切りつけると、小さな声で
「霧の魂を返せ」
 と言った。その名前を聞いた瞬間――名前なのかどうかは本人たちにしかわからないが――千鶴子がほう、と口を丸めた。
「なつかしい名前だ。彼女元気にしてるのかな」
「とぼけてんじゃねえ!!! 魔女め!!!」
 次に男が放った一閃が千鶴子の着ている服に一閃を入れたが肉に傷をつけるまではならない。それを綺麗にかわした彼女に反撃する時間は十分だった。
 男の肘から先が消える。だが刀が翻り、辺りに血が撒き散らされるまでそう時間はかからない。
「ぎゃッ!!!」
「遅い」
 どこをどう移動したものか、千鶴子は後ろから心臓すれすれの位置を一突き。
一瞬のうちに勝負アリだ。
 胸から刃を突き出し、血反吐を吐いて崩れ落ちる男に対して千鶴子は悠然と構えている。
 貫通した刃の先を絶望的なまなざしで見つめる男に向かって、
「仇討ちするにゃ時が早いよ」
 そう言い放った。
「恋人の魂と同じ場所へおいきなさいな」
 すっと千鶴子がその長刀をゆらす。すると黒く光りだした光が丸く形を作っていく。刀から黒い霧が球状に広がったかのような光景だ。刀が黒く光、男の体を飲み込んでいく。
 消えていくその霧の中から男の声が聞こえた。
 だがそれは京介の耳には言葉のようには聞こえなかった。
「きっとお友達もたくさんできるよ」
 千鶴子のその科白が終わるか終わらないかのうちに霧は刀に飲み込まれ、男の体もそれと一緒に溶け込んで消えている。
 玄関口でその光景を黙ってみていた京介はヒトコト、けだるげな千鶴子に尋ねた。
「霧って誰だ?」
「昔のさ」
「そっか」
 千鶴子の回答に興味をなくした京介は踵を返して居間に戻った。
 彼女はなにかを考えているのか、しばらく外から戻ってこなかった。


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