魔境山道



 久々に雨が強い日だった。水無月も半ばにもなれば仕方ないのかもしれない。
 扉が叩かれたので開けると、一人の侍が立っていた。黒い着流しに黒い傘を持っていた。ここら辺では見ないので恐らく遠方からやってきたのだろう。
 だがあまり疲れを感じさせない表情で、彼は口を開いてきた。夜に訪ねてきたことを詫びてくると頭を下げてきた。再び顔をあげる。
 その彼の目を見る。鋭い目つきがじっと自分を見返してきてどこか気圧されそうになる。いつになってもこの手の相手はなれないものだ。
 無言で促すとその声が続けてきた。王多鬼丸と戦いたいので彼の居場所を教えてほしい。
 その問いは予想はしたが、当然でもあった。もっとも自分のところにやってくるこういった人間たちの殆どは彼狙いだ。それを責める気は無いが彼を気の毒に思うこともない。
 ああ、またか。今更か。それだけの感情で扉の向かい側にある朱に染められた鳥居を指差す。数年ずっと塗り直されることなく雨風にさらされているにも関わらずそれは奇妙な赤さを持って、山頂へ続く道へ通じる入り口となってそこに立っていた。
 こちらの返答に頭を下げると、彼は持っていた黒い傘をさしてそのままこちらに踵を返して歩き始めた。彼が道を横切り、鳥居に入るまでをずっと見つめる。
 その黒い背中が鳥居をくぐって道を歩いていくのを見てから小さく息をつく。もう、何年になるのだろうか、まるで自分がここの門番のようになってしまっている。そして"彼"を訪ねてくる強者たちは必ず自分にそれを訊ねる。そして自分は彼らがその鳥居をくぐるのを見送る。
 それを繰り返してこの数年感でわかったことはひとつだけ。

 王多鬼丸を追ってそこに入っていった人間は、誰一人として帰ってこない事。


 魔境山道


 雨の日は続いた。普段は旅人も通る山道だが雨が続けばそれは自然と絶えることになる。空は灰色の雲に埋もれていつもの蒼は片鱗も見えない。
 そうなっても王多鬼丸への尋ね人はくる。それどころか増えていくような気さえした。雨の日は毎日続く。それでも尋ね人は三日に一人はくる。三日続けてくる日もあった。なにが噂となっているのかはわからない。そして、彼を追ってひとたびその鳥居の中にはいれば、戻ることない。
 もちろん彼らの行方が気にならないと言えば嘘になるだろう。その視線の先には明らかに人の死を扱う道がつながっている。地獄への道といえばそれが正しい。だがそれは彼らが王多鬼丸へ勝負を挑むためにやってきた、いわゆる誇りをかけて命をかけて入った道だ。そこに自分が興味本位で足を踏み入れるのも彼らの覚悟に泥を塗るような気がしてならない。
 迷いは絶えない。だが、その気持ちは日々膨らんでいった。
 
 鳥居の紅色は、いつも神々しく、そして生々しい色を保っていた。
 それがいつも不気味に感じられた。それがもつ色彩は誰かを引きつけるなにかを放っていて、待ち受ける人を飲み込むように。そしてそれを囲い込む木々のせいで鳥居の奥にある山道は暗闇に包まれている。
 まるでそれ自体が妖怪のように感じられることもある。実際に動いているのは鳥居ではなく、周囲に生い茂る木々の枝なのだけど。
 縁側に座りながらそれを眺めていると、つい自分も足を運びたくなる。王多鬼丸と刀を交える覚悟がないにしても、上にたっているはずの神社に参拝するぐらいの自由はあってしかるべきだろう、と考えてしまう。そしてそういった理由をつけて上にあがる口実を探す自分がいることが嫌になる。
 伝説を知るのなら、まずここに住んでいる自分が一番適任になるだろう。だがここに住んで所詮数年ではそれより数百年前の伝説までを知りえることなどできるはずもない。あるのは眼前の神社に住むなにかがおり、そこに挑む猛者達がおり、彼らは二度と帰ってこないという事実だけ。
 なにがそれを示すのだろう。つまり王多鬼丸は人を殺して、その後だ。遺体をどう片付けているのだろう。山道から血が流れてきたことは一度もない。そしてこれが始まってから既に数年、誰一人戻ってこないとするなら遺体の数は軽く百を超えるはずだ。
 それなら、どうやって?
 その疑問に対する答えを見つけられないまま、時は過ぎる。悠然と立ち続けるその鳥居を見上げる。眼前にあるその事実に対して自分がどうにかすることができるだろうか。結論からいえば、なにもできないのは見えている。
 そして思考を巡らせていくといつしか、その鳥居がすべての犠牲者の血を吸っているように見えてくる。そうなると恐ろしく、すぐにでもここから逃げ出したくなる。恐怖で足がすくみ、立っていられなくなる。そのときはわざと仕事に集中し、そういったことを忘れようとするのだ。
 
 雨は降り続けた。長い雨だった。
 例年より雨期が長いのかもしれないと思う。それならそれで夏に水に困ることがないからありがたい。これなら多少日照りが強くてもしばらくやっていけるだろうと思う。ありがたい。
 それでも人がくる日は多くなった。そんなある日。
「やあ、誰かいるのかい?」
 入り口で声をあげられた。畑に鍬を置いてそちらに向かうと、杖をついた壮年の男が立っていた。
「王多鬼丸ってのは、あんたかい?」
 首を振る。だがみると、相手は目を閉じている。そしてその目はこちらを見てはいなかった。
 盲目、なのだろう。
「違うよ」
「そうか。このあたりってきいたんだが、どこにいるかわかるかい?」
 いつもの流れだ。後ろの鳥居を指差し、伝えてやる。
「あそこだよ」
「どこだい?」
 そうか。
 一瞬戸惑いながらなんとか声に出して答えた。
「後ろ、振り返ったところに鳥居がある。そこの奥にいる。いるはず......だけど、実はみたことなくて」
「そうか。今まで、何人くらいきた?」
 彼をみる。静かな雰囲気だ。その立ち振る舞いはどこかものやさしい。
「百人以上......はきたと思う」
「そうかい」
 そちらに彼の顔が向けられる。なにも言わずにいるとそのまま行ってしまいそうだったので続ける。
「あの、もしよかったら、お茶でも飲んでいきませんか?」
「ん、いいのかい?」
「ええ。すこしお話を......聞かせてください」

 今まで、何人と挑んできた人間がいたが、実際にこうして面と向かって話をするのは始めてだった。彼の手元に茶碗を持っていってやると、彼はそれを手に取って口元に運んだ。
 彼もおそらく、王多鬼丸に挑む人間なのだろう。
「悪いね」
「いえ......」
 なんと聞いて良いのかわからない。だが、これは単刀直入に聞く以外にないだろう。尋ねると彼は軽く口元に笑みを浮かべて行って来た。
「ん、強い奴がいるって聞いたんでね。勝負してみようと思ったのさ」
「そんなに有名なんですか?」
「俺たちの間ではね。でも、元はただの盗賊だったんだ。それがいつのまにか奴ひとりだけ名をあげて、場所もここになった。盗賊なんて、あちこち飛び回ってなんぼなのにね。一体奴になにがあったのかわからんが、不思議だね。まったく」
 ずず、と茶を一口飲むと彼は空を見上げた。その目は閉じられたままだ。きっとその瞳には何も映っていないだろうと思う。その横顔にむかって何を言おうか迷っていると、彼の方から尋ねてきた。
「それより、帰ってきた奴がいないっていうのは本当かい?」
「ええ」
「その鳥居からでてきた奴をみたことあるかい?」
 そこで言葉をきる。答えに窮して黙り込んでしまう。そこに入っていく姿はいくつもみてきたが、戻ってくる姿は見たことがない。また、鳥居を超えて戻ってくる人間となると......
「な、ないです」
「そうか」
 そういうと彼は茶を一気に飲み干し、杖をつかんで立ち上がった。
「さて、それじゃいってくるかね。ごちそうさん」
 こちらの返事もまたず彼は道を横切っていく。鳥居はすぐそこに目の前に迫っていた。
 変わらない紅色のまま。
「あ、あの!」
 なんで叫んだのかはわからない。だが彼はこちらを見てきた。その横顔に向かって半ば叫ぶように言う。
「もしよかったら、案内しましょうか?」
「ん、いいのかい?」
 なぜそんなことをいったのかはよくわからない。だが、その時自分に迫っていたのはよく分からない高揚感、そしてこれを逃せば機会はもう二度と訪れないのではないか、という焦燥感だった。
「ええ。これでも長くここに住んでるんで......」
 もしかしたら生きて帰ってこれないかもしれない。それはこの一年で分かりきっている。だがそれを抜きにしても入ってみたい気持ちが勝っていた。
 やめておけばよかったと、あとで後悔することになるとわかっていたとしても。
 ここにこれだけみてきたのだから、先をみても良いはずだった。
 
 

 その盲目の剣士に連れられて山道に足を踏み入れる。と、同時に今まで見るだけだった赤い鳥居をくぐった。みるとそれは奥に七つ有り、赤から始まり奥のものにいくにつれて色が濃くなっていく。
 最後の鳥居が漆黒だということに気づいたとき、背筋に悪寒が走る。自分の家からそれほど離れていない場所にも関わらず空気が変わったように感じた。
「俺から離れるな」
 そばにいる彼が小さく言ってきた。その隣を腕を掴みながら歩いていく。段差があれば彼に教え、危険な場所がないように一歩ずつ歩を進めていく。前に進めば進ほど、森の不気味さは増していった。後ろの鳥居の間から見える光が消えた瞬間、悪寒は吐き気に変わった。
 今すぐ逃げ出したくなるような圧迫感。
 と。
「頭さげろ」
 つぶやかれると同時に彼の腕が伸びてきてこちらの頭をおしさげる。それと同じくして杖から抜き放たれた刀身が迫ってきた何かを切り落とした。
 声にならない悲鳴をあげる。膝をついて顔をあげると、そこには思いもしないものが転がっていた。
 木の枝だった。
 しかも、切り口からは人間の血と思しき赤い液体が流れている。
 腹の奥から迫ってくる吐き気。なんとか吐かずに止めておく。人前で醜態を見せたくないというわずかな矜持だった。
 自分の気を知って知らずか彼はこちらの腕をつかんでくると、小さく言ってきた。
「行くぞ」
 ある意味残酷だが、ある意味心強い言葉でもあった。再び彼の腕をつかんで歩き出すと今度は前方から何かが迫ってくる。彼は杖をつかんでそれらを一瞬のうちに切断する。その素早さは職人、というより閃光のようだった。目の前で何かが閃いた瞬間には迫ってきたそれは足元に落ちて散る。
 それらが、人間の血を流す木の枝であることを除けばだが。
 悪寒と吐き気は山を登るにつれて増幅していく一方だった。しばらくいくと木が密集しているところにでる。そこにはまだ新しい、死んで数日と思わしき侍の体が木の枝に絡まって絶命していた。それは顔面が蒼白で、体中がおかしな方向にへし折れ、骨が砕かれた状態でそこにあった。
 今まで自分が、見て見ぬふりをしてきた結果はこれだったのだ。木の枝が伸びてきて人間を捕まえ、力ずくで締め殺していく惨劇。それを何百人と見殺しにしてきたのだ。
 なんともいわれぬ感情がせり上がってきて、涙がこぼれた。
「......ごめんなさい......」
 眼前で搦め捕られて絶命している侍の顔に思わず手を合わせる。そしてつぶやくようにそういう。もちろん謝ってどうすることでもない。だが、そうすることしかできない。
「誰にいってる?」
「わかりません。いわないと駄目な気がして」
「奴らは望んでこうなったんだよ。お前さんが謝ることじゃないさ」
 そういうと盲目の剣士はこちらの腕をつかんできた。
「道はどちらにのびてる?」
 刀を握っている彼は道先が分からないのだ。涙で燻む目をこすると、山道が示す先を指差した。
「こっちです」
 再び歩を進める。階段に足を賭けた瞬間、自分の足首に何かが巻きつく。
 そちらに視線をやって、一瞬動きを止めた。地面から出てきた手首が足をつかんでいたのだ。その手首の肌は既に黒化していて、今にも崩れそうだ。
 横にいた彼が刀を振ってそれを切る。指が切れ、解放されるが飛び散った血飛沫が服に付いた。嫌悪感が抑えられない。
 階段を登る度、木の枝が襲ってきたが彼が全部切り払ってくれた。その度に飛び散る血飛沫が嫌悪感を助長したが、なんとか山頂までやってくることができた。
 眼前には小さな、ぼろぼろの神社。境内はまるで掃除された様子もなく木の葉が舞い、雑草が生い茂っている。建物も長年放置されたようにぼろぼろだ。
「......こ、ここは」
「ぼろぼろかい?」
 彼が刀を鞘に収めながら尋ねてくる。それに向かって頷きながら返事をした。
「ええ。誰も......なにもいじってないみたい」
「それなら好都合さね。いってみよう」
 彼はそういうと歩をすすめ始めた。そこの先にはぼろぼろの神社が聳え立っている。入り口までなんとかたどり着き、そこを開ける。
 その入り口の向かい側。眼前に、壁に寄りかかる形でその男は座っていた。
「王多鬼丸だ」
 彼を見る。刀を大事そうに抱え、その場にしゃがみこんだ王多鬼丸は微動だにしない。近づけばすぐにでも切れてしまいそうだ。
「待ってな」
 彼はそれだけをいうと王多鬼丸に近づいていく。彼の元までいくと刀を一閃、その首を切断した。
 あまりにあっさり終わったそれに唖然とする。だが、その答えはすぐにわかった。
 こちらの足元に転がってきた王多鬼丸の首は、すでに骨だった。
 白骨化、というまでもない薄汚れた王多鬼丸の体は、骨と化していた。
 彼の体を纏うのは整然おそらく着ていた着物。彼はここにきて戻らずに息を引き取ったのだろう。
 盲目の剣士はこちらに戻ってくると、小さく頷いた。
「つまりそういうことさ。ここは、王多鬼丸が作った呪いの森。よっぽどあいつはこちらをここによびだしたかったみたいだね」
「こちら?」
「後ろをごらん」
 振り向く。そして体中が冷えるような思いに襲われる。
 そこには、王多鬼丸の霊が立っていた。こちらを待ち構えていたかのように。
「ずいぶんな仕掛けだね。王多鬼丸」
 王多鬼丸は頷いた。その口が動いてなにかを言ってくる。だが自分には聞こえない。隣の剣士には聞こえるようだった。
「残念。それはできないねえ。彼女は私の案内人だ。私は彼女を守る義務がある。そういう約束だからね」
 なにを言っているのだろう。王多鬼丸はこちらを見てきた。その鋭い視線に思わずたじろぐ。
「お前は死んでいる。私たちは生きている。そちらにいくには、今まで殺した百人の部下だけじゃ不満なのかい? それでも十分、お前はそちらでもやっていける。最強の名前は十分世界に通っている」
 王多鬼丸はかぶりを振った。それでは駄目だ。口元が動いて再びなにかを伝えてくる。
「彼女はわたせないと言っているだろう。やるかい? ここで。自身の肉体をなくしたお前が」
 あたりの木々がざわめき始める。その枝がこちらの上を覆い始める。それに気づいているのか剣士はにっと笑って見せると、ふところから一枚の札を取り出した。
 王多鬼丸の表情が変わる。
「お前の武名証。これがなくなれば、お前はこの世に存在してはいられないんだ。さらばだ。王多鬼丸。地獄で仲間と思う存分暴れるといい」
 どうやったのか、次の瞬間それに火がつけられた。見ている隣でそれが燃えていき、気づけば半分が燃えたところで王多鬼丸の姿が薄れて消える。
 後ろを振り返る。彼の体が炎に包まれていた。剣士も見えないだろうが、そちらに視線をやる。
「いこう」
 手をとって降りる。そのまま神社の境内の真ん中まできたところで、周囲の木が一斉に炎を上げ始める。まるで炎に包まれているかのような光景が辺りを巻き込んだ。
「これでもう、人が死ぬことはない」
「......」
 彼の台詞にどこか釈然としないものを感じながら、小さく頷く。炎はやがて森へと移り、山全体を飲み込んでいった。
 
 
 一時は巨大な山火事と化したそれは、不思議と落ち着くまで時間がかからなかった。数時間後その場は静寂に包まれた。二人が降りていく時、登山時にあったあの不気味な木はどこにもなく、見えた武士の死体も灰となって消えていた。
 下まで降りていくと、やがて鳥居が見えてきた。
「あ、あれは......」
「ん?」
「鳥居が、残ってます」
「そうか」
 彼は特に不思議がることもなく頷いてきた。どうということもないというように。

 家にもどると、彼に頭を下げた。
「その、ありがとうございます」
「ん、なにがだい?」
「その、助けていただいて」
「はは。お互いさまさ。俺も助けてもらったからねえ。それより、王多鬼丸、寂しがってたみたいだからなにかつくってやるといい」
「なにか?」
「なんだ、墓とかさ。もう今回みたいなこともないだろうから、上に作ってやるのもいいだろう」
 そういうと彼は刀で地面を叩いた。
「ここにこれからも住むんだったら、くれぐれもあちらにひっぱっていかれないようにな」
 意味深なことをいうと、そのまま歩いていく。着た方向とは逆の方に。
「達者で」

 上をみる。そこには山があった。
 かわらず、鳥居が立っていた。
 だが、その色は以前ほど鮮明ではなく、褪せている。
 
 そこの頂上に作られた首塚には、いまでも人が訪れる。
 かつての大盗賊の首塚と、その想い人の墓がある頂上に。
 そこに続く道は草が生い茂り、静かに時を過ごしていた。
 誰に邪魔されることもなく。ただ悠々と。
 悠々と。



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