あれからおよそ一ヶ月。
リリーの知り合いの売春婦も殺されていたが新聞沙汰にはなっていない。
所詮命の優先もされていないのだろう。
なにかもの哀しいものを感じて、リリーは仕事を終える。
いつもどおり、なにか頭痛と吐き気に襲われながら娼館をでる。
あれからジースターの家には時間が許す限り通うようにしていたが、彼が帰ってくることはやはりなかった。
なにか、いろいろあるのだろう。
彼のことがずっと気になっていた。
なにか、ずっと考えていた。
仕事上他の男と寝るときでも、彼のことはずっと頭にあった。
これが【アイシテイル】ということだろう。
求めていない。
だからこそいえる言葉だ。
リリーは珍しく、夜の時間帯を歩いていた。
危険な時間帯なので、普段はあまり出歩かない。
殺人はことを耐えないし、数人の荒れくれた男達による集団レイプなんてこともある。実際リリーもそういうのに襲われかけた。
だからなるべく大通りをあるき、はんぱな裏通りに入らないようにする。
そうやって歩いていくのだが、やっぱり街角の裏路地への入り口からはなにやら肉を切り裂く刃物の音が聞こえたり、悲鳴があったり、あるいは女の嬌声があがったりといろいろやかましい。
静かな世界に突然響くそれらはあまりに不気味すぎた。
そのあたりがまさにスラム街といったところか。
そして夜というのは結構思いつめてしまう時間帯でもあった。
そういうことをセーブすることにはなれているつもりだったが、最近はそれがどうもうまくいかない。
なにか、心の破片がかけているような感覚は途切れることなく続き、自分をどんどん狭いところに追い込んでいく。
「またひとりぼっちになっちゃったなぁ・・・・・・・・・」
そんなことを呟いてみる。
ひとりでなかったらこんな職業につくこともなかったのだ。
その友達の家はイーストエンドのミラースコード十三番地にあった。
ドアをノックする。
「はぁーい」
明るい声と同時にドアが開き、白いカーディガンをきた一人のロングヘアーの女がでてくる。ぱっちりした目の美人だ。
年齢は二十代はんばほど。
仕事仲間といえば仕事仲間だ。
一応ね。
「あら、リリーじゃない! どうしたのこんな時間に! 入って入って」
とりあえず会釈して中にいれてもらう。
「メアリー・・・・・ちょっと助けてほしいんだけど・・・・」
「まあまあ、座ってよ。危なかったでしょー。このあたり最近殺人流行ってるみたいだからさ。何飲む? 紅茶がいい? 酒がいい?」
「あ、紅茶ちょうだい。喉かわいちゃった」
彼女――――メアリー・ケリーはリリーの友達だ。
最近知り合ったのだが、気さくで結構話せる人間だ。
話せるヤツ―――――――
彼女ははんば強引にリリーを座らせると、にこにこしながら紅茶を差し出してきた。
「で、どうかしたの? ていうかさ、あんたあまりここらへん出歩くもんじゃないよ? 切り裂きジャックとか、いまいるそうじゃない」
「うん・・・・・そうなんだけどね」
「相談事ならいつでも乗るからさ、せめて昼間のうちにおいでよ。あたし今日は非番だったからよかったけど、明日だったらあえないよ。夜はずっと歩いているから」
「仕事ね・・・・・・・」
売春婦は夜が仕事時だからだ。
「あたしでよかったら相談のるよ。なにがあったの?」
「えーとね・・・・・・・」
こうなるとかえって話しづらい。親しいことは親しいのだが、彼女と話すときはそれ以上のなにかを気をつかわなければならないような感じがするのだ。
開放的な性格をしているが、これでは少し・・・・・・・シリアスな相談は出来なさそうな気がする。
リリーは嘆息した。
すると、紅茶をすすりながらメアリーが眉をしかめて見せてきた。
「なにため息ついてんのよ」
「ごめん」
「謝ってどうすんの。話してくれなきゃわからないじゃん」
「うん、そうなんだけど・・・・・・」
リリーはなぜか思い切りをつけることができない。
以前の自分と変わっている。
それはメアリーもわかったようだ。かるく肩をすくめた後、笑いながらこちらを眺めてきた。
「あんたらしくないねえ。もっと明るかったよ。前のあんたは」
「うん」
リリーは頷いた。
「だけどね・・・・・・、ちょっと、今のヤツに会ってから、なんだかさ・・・・んーと、こう」
うまく言葉がでてこない。空中に手でなにかを示すように描きながら、メアリーを見つめる。
「なんていったらいいの」
「男ができたんだね」
彼女はグラスを手に、半眼でこちらを見つめてきた。
リリーは否定するつもりもないので、一応頷く。
「うん、そう・・・・・・」
「へえ・・・・・おめでとさん」
メアリーはそういうと、にっこり笑ってきた。
彼女を見ると、妙に幸せそうな顔をしている。
リリーが不思議そうにしているのをみて、メアリーは声を出して笑ってきた。
「いや、あんたもやっとかあって思ってね。いいじゃん、幸せになりなよ」
「それなんだけどね・・・・・・・そのさ」
メアリーの声の大きさにリリーは思わず俯いてしまい、それから小さな声で大切なことを言おうとしたが、彼女は構わず言ってきた。
「あんたさ、この仕事やめなよ」
「え?」
突然といえば突然な科白に、リリーは目を点にした。
メアリーは構わず続けてくる。
「あんたさあ、辞めたほうがいいって絶対。そいつのことさあ、好きなんでしょ? だったら変な病気とか感染する前に足洗っといた方がいいって」
「・・・・・・・」
リリーは目を見開いて彼女を見つめることしかできない。
そういうと、メアリーはくすりと笑って、自分の袖をまくって見せた。
そこには赤い斑点のようなものが沢山出来ている。
「あたしみたいになるまえにね」
「・・・・・・・それって」
メアリーはクスクスと笑った。
「梅毒ってヤツ。まーあたしとやったやつらは染ってんじゃないかな。なんせもうこれも蔓延もいいとこのビョ―キだしね。あんたも気をつけなよ」
「・・・・・・・」
リリーが口を開こうとすると、ドアがノックされた。廊下から一番ちかい部屋で話していたため、その音は大きく響いた。
「おっと、お客さんだ・・・・・・・追い払わなきゃね。ごめんよ。あたしばっかしゃべって」
「うん、大丈夫。気が楽になった」
リリーはメアリーに向けて笑顔を返すと、彼女もはにかむように笑った。それからメアリーはコチラの肩をぽん、と叩くと、横を通り過ぎて廊下に出て行くドアをひらいた。
「ねえ、メアリー」
リリーは振り向いて彼女の名前を呼んだ。メアリーが身体を半分だけこちらにむけて振り向いてくる。
「ん?」
「その・・・・・・ありがとう」
彼女は返事はしなかったが、にっこりと笑ってから、ドアを出て行った。
ばたん、とドアが閉まる。
「はあっ」
リリーは一人になると、大きくため息をついた。
なにか心細いのと同時に、安心した。
メアリーはああいう人柄だが、やはりこういうときはいいことを言ってくれる。
アドバイスはありがたかった。
「辞める、か・・・・・・・」
金がどこからでてくるものだろうか?
自分を売ったからには、自分を買わなくてはならない。
それなりの金が必要となる。やはり。
「そうだよね・・・・・・そういう判断も大事かもね」
正直、どうしていいかわからないというのが本音だ。
ジースターと話したい。
切り裂きジャックとは会いたくない。
彼らが別な人間だったらいいと心から思う。なにしろジースターと遠く逃げればいいからだ。身体を売らずに、二人だけでなにかをできるはず。
そう思って。
リリーは初めてこういうこと考えている自分に気がついた。
ふと思って顔をあげる。
「そっか・・・・・・初めてだ」
いろいろ将来のことを考えるのは初めてだった。
もちろん恋人ができたのは初めてだ。
あれで恋人と呼べるやつなのかと言われると少し自信がないが。
まだ遅くはないはずだ。
と、ドアが開く音が聞こえた。
リリーはほっとして、飲みかけの紅茶をテーブルに置いた。
どこか身体を暖かいものがつつみこむような感覚で、呟いた。
「メアリー、助かった。ホントありがとう」
だが。
「ミス・ケリーなら亡くなったよ」
それは男の声だった。
しかも歳を重ねた中年男だ。
はっとしてリリーが後ろを向くと、その男はリリーに飛び掛ってきた。
横に逃げるよりはやく口をふさがれ、そのまま椅子を転げ落ち、床に背中から倒れこむ。
したたか打ち付け、思わず呟いた。
「いたい・・・・・・・」
目を開けると、やはり中年の男がいた。
頭ははげかけていて、やや太めの白髪交じりの男だ。
「んん? ガキじゃねえか。さてはあいつに娼婦の手ほどきみてーなもんを受けてたのか? ん?」
リリーはなんとか抜け出そうと両腕を動かした。
だが、その男は空いている手にもった棒のようなものでこちらの腕をうちつけてきた。
ごき、と音がして動かなくなる。
「うあうっ!」
おもわず叫び声をあげた。
すると、その男はリリーの身体を床に押し付けるようにしてやると、ドレスを脱がし始めた。
「まあ、ガキなら犯してやってもかまわんか。ビョ―キには気を付けろよー。へへ」
息づかいを荒くしながら、その男はリリーの身体をまさぐりはじめる。
抵抗も出来ないので、なにをしようというわけではない。
自分が童顔であることはわかっていがガキ呼ばわりされるのはいささか抵抗があった。
とはいえ。
殺されるまえに犯されるということじたい願いさげなのだが。
足をばたつかせながら抵抗する。
声を出そうとすると、男の手がのびてきてリリーの口をむんずと塞いだ。
しかも相手の体重は重く、抵抗しても押さえつけられてしまう。
やがて入り込んでくる。
なれたことではあったが、不快感は否めない。
かといって抵抗ができるわけでもないし、助けがくるわけでもない。
その男にされるがままにしておきながら、リリーは観念することにした。
終わりがくれば、それまでだから。
とりあえずぼんやりと天井をみながらはんばあきらめの気持ちでそのときを待っていると、いきなり男の身体が宙に浮いた。
目の前を男の身体が鮮やかなアーチを描いて飛んでいき、向かいの壁にぶつかった。かなりの力で飛ばされたらしく、男は頭から壁にぶつかった。
体力もなかったリリーはそのまま倒れたままでいた。
男が床に落ち、その後に聞こえてきたのは悲鳴。
「ぎゃあああああああっ!」
視線だけで中年男の方を見ると、なにやら股間を押さえつけてごろごろと転がっている。
そのたびに床に血が跳ね回り、あちこちに赤いしみを作っていく。
なにがあったのかつかめずにその場に動かないで固まっていると、やがて血がこちらの顔にも飛んでくる。
「あ・・・・・」
見ると、足元になにやら転がっている。
それは―――――――
リリーはぞくりときた。
飛んできたナイフが中年男のそれを掠め斬ったのだ。
幸いなのは自分も巻き添えをくらわなかったことだが、殆ど容赦のない一撃だった。
幸いというべきか、太腿をはずれてすこしの床に突き刺さっている。
すると、自分の足元に転がっていたそれは、別な足で踏み潰された。
肉片と血があたりにとびちった。
その人間は、手にもった鋭いナイフに光を反射させながら、リリーの隣を通っていった。
「・・・・・・・・」
その顔には見覚えがあった。
だが、その表情には見覚えがない。
確かに外見は変わっていないジースター・ジェイスがそこにいた。