リリーをベッドにねかせ、ジースターはぼんやりと煙草をふかしていた。
この部屋はそれほど大きいわけではない。玄関から入ったら廊下があって、脇にバスルームがあって、台所があって、奥に大きな部屋があって、それだけだ。
一応ジースターは綺麗にはしているつもりではあるが。
というか、散らかす暇がないといったほうが正しい。
一回散らかせば片付ける暇もないだろうが。
窓を開けて、煙を出す。
夜風が心地よい。
窓辺の下に座りながら、煙を吐き出した。風にのって、外へ流れていく。
リリーはすこし落ち着いたようで、静かな寝息を立てていた。その寝顔は二十歳を過ぎた女性のものとは思えないほど、幼く見えた。
奇妙な関係だとつくづく思う。
会ってすぐに付き合いだして、かれこれ一ヶ月ぐらいが経つ。
だが、ジースターがリリーと会えてたのは、そのうちの一週間分にも及ばないだろう。
だが、それでもリリーは娼婦としての仕事をする回数が減っていた。なくなるわけではなかったが、なぜかやらないと言い出したのだ。
ジースターはたなびく煙草の煙をみつめながら、彼女を見つめていた。
なにを考えているのか、さっぱり掴めないが・・・・・・・・
しばらくジースターがぼんやりしていると、リリーがむくりと起き上がり、眠そうな瞳でこちらを見つめてきた。
「・・・・・・・ジースター・・・・・・」
「ん?」
ちょうど五本目の煙草をきったところだった。吸殻を灰皿に押し付けながら、彼女の方を見る。
時間は深夜を回っている。
それもかなり遅い。こうなったら今日は床の上で寝ることになりそうだ。
そんなことを考えながら息をついてから、リリーをみた。
「なんだ、起きたのか」
「・・・・・・・・う」
彼女は小さく呟くと、自分の胸のあたりを抑えるようにして、くるしげに喘いでいる。それからジースターを見つめながら言ってきた。
「・・・・・・・・・て」
「ん?」
何かを伝えようとしているようだったが、なぜか彼女は小さな声で言うため、よく聞き取れない。
あたりは深夜のため、たまに空いた窓から聴こえてくる虫の音をのぞけば十分すぎるほど静かだ。
ジースターは立ち上がって、リリーの隣までやってきた。
ベッドに座り込んでいるリリーの前で屈みこみ、その肩に手を伸ばす。
「どうしたんだよ? しっかりしろよ・・・・・」
そっと、ジースターの手がリリーの肩に触れたとき、彼女はいきなり手を伸ばして、こちらの胸座を掴み挙げてきた。
そして見上げてくる。その目は怒っているような、泣き出しそうな、微妙な表情を浮かべていた。
ぐい、とジースターを引っ張ると、そのままベッドに引きずり込み、唇を重ねてくる。
その行動はあまりに突然だった。
ジースターは抗ったりせず、そのままさせるようにさせた。
とりあえず顔を離して、優しく彼女の髪を整えてやりながら、訊ねる。
「おい、どうしたんだ?」
さっきと同じ科白をかけたが、なぜか自分でもリリーに対して怒りのようなものが含まれている気がした。妙に声が低くなっている。
彼女は息をつくと、こちらの首に手を回し、自分の方に引き寄せた。
「ごめん。なんだかすっごく・・・・・・あれ。穴があいたみたい」
「気分がか? さっきあんなに明るかったじゃんか」
「わからない。なんていうか・・・・・さっきはあったはずなのに、なんだか今はなくなってて、気付いたらぽっかり穴があいてるの」
わけわからないことをべらべらとしゃべりながら、リリーはジースターを抱きしめて離そうとしない。
「なんだよそれ」
「わかんない。すっごい大きくてさ、わけわかんないほどで・・・・・どうしたらいいのかもねえ・・・・・・うん。あたしどうしたらいいと思う? ねえ」
リリーの言葉はどんどんわけがわからなくなってくる。ただ、こちらの背中に回っている彼女の腕の力はどんどん強くなっていた。
わけがわからない。
まるでさっきとは別人のようだった。
「しっかりしろって。なんもないじゃないか。不安になることがあるか?」
ジースターは何を言っていいかわからなかったので、とにかくリリーの頬に手をあげながら、自分の顔を見せてやった。彼女が嫌悪感を感じないことを祈りながら、言い聞かせる。
「いいか? 大丈夫だろ。ここには俺がいる、他にだれも入ってこないんだぜ? なにか怖いものでもあるのか? 辛いことでもあるか?」
「怖いって言うか・・・・・・・・怖いのは誰も傍にいないことみたいでさ・・・・どうしてこうなったんだろ? こないだまでは全然平気だったのに」
どうやら彼女は誰かにそばにいて欲しいらしい。
なんだか変な所から怒りがこみあげてきたが、ジースターは必死で自制する。ここで自分がぷっつんときてしまっては、彼女に不安を与えるだけだ。
「だからさあ―――――」
そこで何かを言おうとしたが、そのときジースターは自分の頬になにか冷たいような―――――暖かいような、不思議なものが当たるのを感じた。
リリーが泣いていた。
涙が頬に伝っていた。
「お願い、一緒にいて」
「えーと・・・・・・・・ああ、わかったから」
すこし混乱していたが、ジースターはやっとのことでそう答えた。
++++
次の日。
ぼんやりとジースターは目を覚ました。
一応服は昨日のまま、寝てしまったらしい。
リリーとやることまでには及ばなかったが、彼女はこちらに抱きついて、離れようとしてくれなかった。
もっとも、彼女も服を着ていたから無理やり脱がすまでは至らないのだが。そもそもジースターはそういう男ではない。
ふあ、と大きくあくびをして、自分の隣で静かに寝息をたてているリリーの腕をそっと外した。
嫌いなわけではない。しかし起きにくいうえにかなり寝苦しかったのは否定できない。まあ、それでリリーが満足だったなら、よかったのだが。
彼女まで起こしてしまっては悪いので、ジースターはそっとベッドを抜け出した。
朝食はたいてい自分で作る。
いつもは一人分だが、今日はリリーがいるので、二人分の朝食を用意した。ベーコンエッグと、トーストと、そこらの市場で手に入れた安物のコーヒー。
いつもはこんなもんだ。
しっかり働いていれば、市場にいってそれなりのものは買うことができる。大英帝国という国は進むことはあれど下がることはない。それはジースターのような労働者にとっても同じことだった。
とりあえず久々に埋もれていたテーブルを掘り出し、きちんと回りを片付ける。ひさびさにやったような気がしたが、これも彼女がいるからなんだろう。勝手に納得して、すすめる。
小さなソファの上は物置状態だったが、なんとか綺麗にすると、二人は座れるスペースができた。なんだかこんなことをしている自分が惨めに思えた。
朝食をテーブルのほうに持っていくと、なぜかリリーがベッドの上で起き上がって、何かをしていた。
こちらに背中をむけて、胸のあたりで何かをやっている。
「おや、起きたのか」
「・・・・・・・」
リリーは返事をしない。
おやと思って近づくと、突然リリーの前から血しぶきが走った。
「おい!」
はっとして料理をテーブルにおくと、すぐにリリーに走りよる。
彼女はナイフを手に――――――そこらへんに落ちていたのだろう――――自分の腕を切りつけていた。
手首から血がとぴゅ、と勢いよく飛び出す。
ジースターはそこにあったハンカチを手にとると、リリーに近寄って後ろからその手首に巻きつけた。
リリーがそのときナイフを突き降ろしたので、ジースターの腕を思い切りきりつけてしまう。
ざっくりとナイフが腕に突き刺さる。
血が飛び散って、二人の顔についた。
ジースターは鋭い痛みが這い上がってくるのを感じたが、そんなことよりリリーの手のことが心配だった。
「おい!」
再び呼びかけると、リリーはゆっくりとこちらを見てきた。その目にはなぜか生気がない。
「・・・・・・・」
「なにしてんだよお前!」
ジースターは思い切り怒鳴りつけると、リリーの手からナイフを奪い取った。それを横に捨てながら、彼女の身体を後ろから抱きしめる。
「危ないじゃないか! 切るとこ間違えたら死んでるぞ!」
その言葉にリリーはぼんやりと天井を見上げながら、呟いた。
「・・・・・死ぬかあ。それもいいかもなあ」
「よくねえ!」
思い切り毒づくと、ジースターは彼女の腕をとって、他にもついていた裂傷を塞ぎはじめた。
なんで死のうとするんだよ――――――
ぼんやりと頭の片隅でそんなことを思いながら、救急箱を取り出して包帯を巻いていく。
急いで止血し、消毒して、包帯を巻いていく。
「死んだってなんもないんだぞ。少なくても悲しいだろが」
「・・・・・ジースターが?」
「ひとが死んで喜ぶやつはどうかしてる」
包帯を巻き終わると、リリーの頬に手を触れた。
彼女はなにかを悩んでいる。
「だから、死ぬな。悲しいから」
「・・・・・・・ありがと」
リリーはぼんやりとだが、そう言った。
改めてみると、彼女の目には輝きが戻り始めていた。
安堵するのを感じてから、リリーの手をとって立ち上がらせた。
「メシにしようぜ。腹減ってると、また変なこと考えちまうからな」
その言葉に、リリーは静かに頷いた。