ロンドンのイーストエンドの通りにあるとある酒場はいつもどおり暗く、そして澱んでいた。
酒場ではあるが、宿屋もかねていて、二階部分が宿泊室になっている。代金はこのうえなく安いので、なんにちか寝泊りするものも多い。
その場所は暗いわけではなく、かといって明るいわけでもない。
そこに集まるヤツらに問題はあるが、かといってこの酒場自体に問題があるわけでもない。
その澱みはなぜか明るく、来るものを拒む雰囲気ではない。酒が飲みたければ来い、飲みたくないなら来るなといった、そう言った感じの場所だった。
あまり一般市民に好かれる場所ではないだろうが、法律もなにもない場所で働かされている労働者たちにとっては、唯一の憩いの場だったのかもしれない。あまり自覚はされていないだろうが、それは確かだった。
ジースター・ジェイスは二十歳になったばかりだが、酒は十五歳の頃から始めていた。
そこには殆ど毎日、少なくとも三日おきぐらいに通っていた。彼は工場で働く労働者階級の人間だったから、あまり他に楽しみがないところまで追い詰められていたともいえるのだろう。
酒場の主人とも顔なじみだった。
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ジースターがこの事件のターゲットになったのは、単なる偶然だった。
それも、真犯人の気まぐれ。
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ジースターが仕事を終え、酒場の扉をあけて中に入ると、顔なじみの主人が手を振ってきた。これもまたいつもの愛想のよい笑みをうかべながら彼は言ってくる。
「よお、ジースター。今日はいやにおつかれだな」
「馬鹿上司のおかげでな。いつものくれ。今日はひでえんだよ」
ジースターはやつれた様子で歩きながら、カウンターの前に座りこんだ。これもいつもの席。
なんだか、自分で自分が馬鹿みたいに思えた。
いつも同じ時間に起きて、いつも同じ仕事をして、いつも同じ酒場に来て、晩飯をすませて家に帰る。
「テリー、なんでこう世の中って荒れてんだ? オレたちに救いみてーなのはねえのか?」
酒場の主人―――――テリーは飲み物を作りながら、適当に言った。
「お前はいつも頑張ってるからなー。女ぐらいいねえのか?」
「オンナ?」
飲み物をジースターの前に置きながら、ふふんとテリーが笑ってみせる。
「いつも帰ってきたら抱きしめてくれるようなさ」
「いねーよ」
妙なジェスチャーをする彼に、ジースターはグラスに口をつけながら半眼で返した。
「だいたいどうしてオレにそういうのができるって? 今の仕事は出会いが無いよ。それにそんな暇はねーよ。女っつったらめんどくさくて、わがままで・・・・・」
「付き合ったことがないやつはそういうんだよ」
テリーはそこらへんからグラスを取り出すと磨き始めた。きゅきゅ、と音がする。
「お前も二十歳だろ? そろそろきめとかないとやばいぞ。童貞だろ?」
「殴るぞ」
ジースターが笑顔でテリーに向けて言い放つと、彼はがははと笑って手を振ってきた。
「まー、とりあえずそれまでにしときなさい」
「このやろう」
「どうだかね」
テリーは悪びれずに笑うと、座りこんだ。
「お前さあ、ちっとは休め。そんで遊べ。苦しいだけじゃ、人生楽しくないぞ?」
「そういうこというのは金持ちだけさ。あの給料じゃいくら働いても働き足りねえよ」
「かねえ」
ぼんよりと呟きながら、グラスを飲み干す。
「チェリーパイくれよ」
「へいへい・・・・・・」
ジースターの注文を受けてテリーが料理を作り出す。間もなくして皿に乗ったパイが運ばれてきた。
「ほら」
皿をジースターの目の前にパイを置くと、テリーは小さくため息をついた。
と、そのときだった。
ちりん、と店の扉にかけておいた鈴がなり、一人の人影を飲み込む。
「いらっしゃいー」
テリーがいうと、ジースターもおまけとばかりに振り向いた。
そしてあんぐりと口を開けた。
目を見開き、驚いたように眉をあげる。
ここまで素で驚いたのは久し振りだったかもしれない。
入ってきたのは赤い服をきた娼婦だった。
そして、誰もが認めるような、美女だった。